2021年10月5日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その7]

 


「ビエール、行くぞ」


背後から父親の声がし、『ひろしま駅ビル』を見上げていた『少年』は、振り向き、先を歩き始めていた両親と妹を追ったが、その時、


「チンチン!」


と音を立てた乗り物を見て、


「あ、チンチン電車!」


と云ったものの、『少年』は、顔を赤らめた。通りすがった高校生くらいの少女が、キッ、と『少年』の方を見たからだ。


「(しまった!『チンチン』なんて云ってしまった…でもお...)」


そう、『チンチン』なんて恥ずかしい言葉であるという認識を持つ歳になっていたが、『少年』の眼の前には、実際に、『チンチン電車』がいたのだ。広島電鉄の路面電車である。




「(あれは、『チンチン電車』だあ。『チンチン電車』のことを『チンチン電車』と云わないなら、なんて云うんだろう?)」


『少年』は知らなかった。通りすがった高校生くらいの少女が、睨むように『少年』の方を見たのは、『少年』の『チンチン』という言葉を聞いたからではなかったのだ。


「(『ジェームズ・ボンド』?...んんん、まだ子ども….でもお…)」


少女は、『少年』が宇部市琴芝で、今、少女が思ったのと同じように思われていたことを勿論、知っていたわけではなかった。


「(鹿児島だって、『チンチン電車』って云ってたし)」


小学校に上がる前の半年、鹿児島に住んでいたことがあった。住んでいた頃の記憶は薄かったが、鹿児島には、今もそうであるが、路面電車が走っていた。鹿児島は、両親の田舎でもあったので、幾度か帰省したこともあったのだ。


「(福岡にもあったと思うけど、やっぱり『チンチン電車』だったと思う)」


確かに、当時(1967年)、福岡市にはまだ、路面電車が運行されていた。『少年』は、福岡生れであった。福岡の春日原(かすがばる)である。


「(父さんも、母さんも、『チンチン電車』って云うし)」


春日原は、今は、春日市であり、『少年』が生れた頃は、筑紫郡で、いずれにしても福岡市ではなかったが、西鉄電車で福岡市を出た最初の駅が春日原駅であり、ほぼ福岡市といってもいい位置にある。


「(まあ、福岡のことはよく覚えてないけど)」


『少年』は、父親の仕事の関係で、5歳半で春日原から鹿児島に引っ越したのだ。


「ビエール、こっちだぞ」


『チンチン電車』に気を取られていた『少年』、若き日のビエール・トンミー氏を父親が呼んだ。



(続く)




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