「(んん….何か、寂しいなあ)」
『少年』とその家族を乗せた『青バス』(広電バス)は、広島駅南口から北口に回って進んでいた。『少年』は、軽い失望を口にはしなかったが、父親は、窓外の駅の北口側の街の様子を見る息子の横顔に、その失望を読み取った。
「随分、違うだろ」
という父親の言葉に、『少年』は振り向いて、父親を見た。
「こっちは北口なんだが、賑やかな南口とは、同じ駅には見えないだろ」
「どうしてなの?」
「どうしてかなあ….まあ、広島駅って、広島市の北の方にあって、そこから市が南に広がっている感じなんだ。だから、広島駅から電車もバスも南の方に行くものが多くて、どうしても南口に人が集まるんだと思う」
その時、『少年』の父親は、その後(1980年のことだ)、広島市が政令指定都市になるに伴い、区制が敷かれ、『広島市の北の方にある』と思っていた広島駅が、まさかな『南区』になるとは想像することができるはずもなかった。当時(1967年だ)の『広島市』と政令指定都市となった『広島市』とは同じではないのだ。政令指定都市になる前に周辺の郡部を編入し、『広島市』は拡大したのである。
「でもな、駅って、こんなものなんだよ」
「こんなもの?」
『少年』は、小首を傾げた。
「『南北問題』とでもいうのかなあ」
「え?『南北問題』?朝鮮とかベトナムみたいなことが、日本でもあるの?駅であるの?」
と、食いつくように父親に発した『少年』の言葉に、バスの後方の座席に座っていたあの母娘が共に、口を開け、そのままにした。『少年』とその父親をアメリカのテレビ映画『パパはなんでも知っている』の長男『バド』と『パパ』とであるように見ていたあの少女とその母親である。
(続く)
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