「『ちり紙』はな、当時はだな、そう、1960年代だぞ」
という、ビエール・トンミー氏を取材対象とする特派員へのエヴァンジェリスト氏のiMessageには、どこか『1960年代』へのノスタルジーが込められている感があった。
「『ちり紙』は、鼻をかんだりするのにも使っていたから、今でいう『ティッシュペーパー』とも云えるが、所謂「『ティッシュペーパー』とは別物で、『便所』で用を足す時に使っていたものなんだ。今、新聞紙をトイレットペーパーと交換してくれるだろう?」
「ああ、新聞販売店が、新聞紙の回収の代りにトイレットペーパーをくれますね。古紙回収ですね」
「少し前までは、『ちり紙交換』っていうのがあったんだ。トラックで、『ちり紙交換』とアナウンスしながら町内を回ったものだ。今でいうトイレットペーパーとの交換だな。だから、『ちり紙』は、『便所』で使うから『落とし紙』ともいうようだが、ワシは、『落とし紙』なんて、そんな洒落た云い方があることは、大人になるまで知らなかった」
「『落とし紙』は、聞いたことがあります。トレイに重ねてあったんですよね、確か?」
「そうだ、それだ。だがな、『ちり紙』だって、物心ついた頃からあった訳ではないんだ。『便所』で使っていたのは、ああ、『大』の方だぞ」
「ああ、なるほど!新聞紙だったんですよね?やはりそうだったんですね!?」
「ああ、そうだ。それは、紛れもない事実だ。当時は、何にでも新聞紙を使ったものだ」
「何にでも?」
「近所のお好み焼き屋でお好み焼きを買って帰るのも、新聞紙に包んだし、学校に持って行く弁当を包むのも新聞紙だった。八百屋なんかで買い物をした時も、買ったものは新聞紙に包んで渡されたものだった」
「今からするとエコでいいですね。でも、新聞紙でお尻を拭くのは、信じられません。痛くはなかったんですか?」
(続く)
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