「『エノケン』じゃないけえ。『エイケン』よお。『英語検定試験』のことじゃ。お兄ちゃん、『英検』の準2級を高校の時にとったんじゃけえ」
と、『ボッキ』少年は、顔を少し上向け、仕草で鼻高々を示した。
1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』を、同じく見ている『ボッキ』少年の兄の話題へとなっていた。
「へええ、なんかよう知らんけど、アンタのお兄ちゃん、英語が得意いうことなんじゃね。お兄ちゃん、アタマがエエんじゃろ?ウチのお母ちゃんが、そう云うとった」
「うん、『広大』の医学部じゃけえ。お医者さんになるんじゃ」
「アタマようないと『広大』に入れんのに、お医者さんじゃろ?もっとアタマようないとなれんけえね。ほいじゃけえ、英語もできるんじゃね」
云うまでもなく、『広大』、つまり、『国立広島大学』は、地元の名門大学で各高校の優秀な生徒が進学する大学であった。
「うん、お兄ちゃん、今でも『田崎』先生の『テレビ英語会話』見て、勉強しとるで。トンミーくんも見とるんじゃろ、凄いのお」
「いや、そんなにちゃんとは見てないよ。なんとなく見ているだけで、ボクなんか見ている内に入らないよ」
「そりゃそうじゃろうねえ。『テレビ英語会話』は、どうようなんか知らんけど、『バド』は、『テレビ英語会話』なんか見る必要ないけえ。元々、英語できるんじゃけえ」
「いや…」
「ウチも『テレビ英語会話』見るようにしょうかいねえ」
「英語、好きなん?」
「奥さんが、英語喋れんと困るじゃろ」
(続く)
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