「(ピッチャン』を『ピッチャー』と聞き違いしてもいないし、『みっちゃん』とも聞き違いをしてもいないから、お好み焼きの話をしようともしていない。じゃあ、『ピッチャン』って何なんだ?」
と、ビエール・トンミー氏が、あらめて疑問を心に抱くと、その疑問を待っていたかのように、友人のエヴァンジェリスト氏から、その疑問への回答となるようで、更なる疑問へと誘うようなiMessageが届いた。
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「『ピッチャン』の頃はもう、『きんのすけ』は、『播磨屋』じゃなかったあ思うんよ」
「はっ?はっ、『播磨屋』?なんや、『きんのすけ』はんは、土佐は高知のお人やったんか?」
「アンタあ、何、寝惚けたこと云うとるん。『きんのすけ』は、麻布生れじゃけえ。まあ、高知の『はりまや橋』は、川(堀川)を挟んで店を構えとった『播磨屋』さんと『櫃屋』さんとが、互いに行き来し易いように架けた橋じゃけえ、そう思うんも無理はないかもしれんのお」
「ああ、もう坊さんの『純信』の話はエエで。もう、アンサンから散々聞かれされたさかいな」
[参照:チョコガム問題【非ハーバード流屁理屈論】(その48)]
「いや、今度は、『純信』のことじゃのうて、『播磨屋宗徳』じゃけえ。高知の材木商の『播磨屋』を作った『播磨屋宗徳』は、名前から分るじゃろうけど、元は高知(つまり、土佐)の人じゃのうて、『播磨』(今の兵庫県じゃね)の人で、『長宗我部元親』に請われて土佐に来たんじゃと」
「その情報もいらへんで」
「まあ、聞きんさい。『きんのすけ』も元は、『播磨屋』じゃったんじゃけど、そっちの『播磨屋』も、大坂の呉服商三井越後屋の番頭の『丹波甚助』の子から『播磨屋作兵衛』いう『播磨』出身の人の養子になった人が由来らしいけえ、土佐の『播磨屋』と関係ないとまでは云えんのお。『播磨屋作兵衛』が何をしとった人かはよう分らんみたいじゃけど、線香花火の職人なんかじゃなかったんかもしれんいう情報もあるんよ」
「あんなあ、ワテ、『播磨屋』のことなんか、興味あらへんのや」
「ああ、ほうじゃね。『きんのすけ』は、『ピッチャン』の頃はもう、『播磨屋』じゃなかったじゃけえ、『播磨屋』のことはどうでもエエねえ」
「アンサンなあ、ほんまに、ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ云わせるでえ!」
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「(こうなったら、死んでも嫌だが、アイツのケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ云わせたくなる!)」
と、ビエール・トンミー氏は、自らの手に、アイツこと友人のエヴァンジェリスト氏のケツの穴の中の『モノ』が着いたような気がして、iPhone14 Proを持たぬ左手を自らのパジャマのズボンにこすり付けるように拭いた。
(続く)
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