2020年1月21日火曜日

ハブテン少年[その156]




『少年』は、その年(1969年)に放映が始まったテレビ・ドラマ『水戸黄門』に主演した東野英治郎は、失礼ながら、その前に『水戸黄門』を演じた月形龍之介に比べて品がない、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「♬ああ、むーなしく、ゆたーかな、オトナーに、なーりたくない♫」

森山良子の歌声(『山本直純』作曲・『倉本聰』作詞)が、少年の心を揺さぶる。1970年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の卒業式で体育館にいたエヴァンジェリスト少年の心は、一人、その場を離れていた。

「(大人たちは、いずれ先に死ぬ。そうしたら、理屈に合わないものを認めることはなくなるのだろう。ボクたちが大人になると)」

と、その時、思った少年は、それから20年、30年、40年、50年経ち、自分の愚かさを知ることになる。

「(大人たちは、いずれ先に死ぬ。そうしたら、有難くもないものを有り難がるなんて馬鹿なこともなくなるのだろう。ボクたちが大人になると)」

と、その時、思った少年は、それから20年、30年、40年、50年経ち、人間の愚かさを知ることになる。

しかし、その時は、信じていたのだ。『ハブテ』ながら信じていた。

「そこらの大会社のサラリーマンと同じに、ただそつなくやることだけを考えはじめます!そつなく、周囲と!毎日をそつなく!」



今度は、森山良子の歌声ではなく、『武川和人』の叫び声が体育館の中に響き渡ったように感じた。

「(また、『倉本聰』だ)」

ソウだ。『武川和人』を産んだのは、『倉本聰』であった。


(続く)





2020年1月20日月曜日

ハブテン少年[その155]




『少年』は、その年(1969年)に放映が始まったテレビ・ドラマ『水戸黄門』の主演が、少し前に30分番組ながら同じテレビ局で放映されたテレビ・ドラマ『水戸黄門』の主演を務めた月形龍之介ではなく、東野英治郎であることにハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「♬あおーげばあー♫」

と、唄いながら、彼の頭の中には、別の歌が流れていた。

「♬でもぼーくは、かたくなーに、おさなさーをむねにだきー♫」

1970年、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の卒業式であった。『石坂洋次郎』を卒業したエヴァンジェリスト少年は、中学も卒業しようとしていた。

「(みんな、型通りだ)」

卒業式での校長の挨拶も在校生代表の送辞も卒業生代表の答辞も、何もかもが、型通りのものであった。


「(詰まらない)」

少年は、『普通』であることが嫌で仕方なくなっていた。『倉本聰』脚本の『颱風とざくろ』が、少年をそうさせたのではない。

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に云われ、ずっと『ハブテン』いい子で来たが、それは少年の実の姿ではなかったのだ。

「ボクと付き合ってくれないか?!」

と、『パルファン』子さんに告白したのは、少年の内なる衝動がそうさせたのだ。それまでの14年間、『ハブテン』いい子でいようと抑えてきたものが抑えきれなくなったのだ。

だから、親の反発を招くことを承知していながら、

「自衛隊は違憲に決ってるじゃない」

という言葉を発するしかなくなったのだ。

そして、テレビで貧相なある老人に対して人々が、手を振ったり、万歳をしたり、涙したり、拝んでいるのを見て、

「別に偉くもない人を有り難がるのは変だよ」

という言葉が、口から出ることを止めることができなかったのだ。

「(大人たちは、うやむやの内に作られた自衛隊を、自衛の為だから仕方ない、と思っているのだ。自衛の為なら戦争をしても仕方ない、と思っているのだ。でも、侵略の為に軍隊を持っているとしていると思っている国があるのだろうか?)」

親の平手打ちを頬に受けても、その思いは消えなかった。

「(民主主義の国の国民が、かつての為政者を、つまり、自分たちを虐げてきた者のことを有り難がるのは、大人たちがそう刷り込まれてきたからなのだろう)」

再び、親の平手打ちを頬に受けても、己の自虐を自覚していない大人たちへの反発心は増すだけであった。

少年は、もう『ハブテン』少年ではなく、『ハブテル』少年であった。いや、少年は、本来、『ハブテル』少年であったのだ。『倉本聰』が、少年をより『ハブテル』少年とはしたのであったが。


(続く)




2020年1月19日日曜日

ハブテン少年[その154]




『少年』は、その年(1969年)に放映が始まったテレビ・ドラマ『水戸黄門』を見て、『水戸黄門』を演じるのは(主演は)、やはり月形龍之介だろうに、とハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「(これも判らん…)」

エヴァンジェリスト少年は、自宅の子ども部屋にある作り付けの2段ベッドの下の段で、寝転がったまま読んでいた文庫本を、布団に伏せた。

「(いや、もっと判らん!)」

憤慨気味だ。内容を理解できないのだ。

「(前のより題名は、面白そうだったんだけど)」

布団に伏せられた文庫本の題名は、『海と毒薬』であった。

「(どうして、暗い小説ばかり書くんだろう?)」

その時は、まだ、遠藤周作の心の闇を知らなかった。そうだ。『海と毒薬』も遠藤周作の小説である。『前の』(その前に読んだ小説)とは、『白い人』、『黄色い人』である。

「(映画やドラマにしたとしても、これじゃあ、松原智恵子は出てこないなあ)」

『白い人』、『黄色い人』も、『海と毒薬』も、『石坂洋次郎』モノとは違い、純文学であり、そして、ただ純文学であるだけではなく、エヴァンジェリスト少年が好むような淡い恋もウブな性も扱った内容ではない。そこに、『松原智恵子』の入る余地はなかった。

「(どれも面白くない)」

詰まるところ、そうなのだ。だったら、『白い人・黄色い人』を買わなけりゃよかったであろうし、それが面白くなかったのなら、『海と毒薬』も買わなければよかったのだ。

「(でもなあ、『石坂洋次郎』は全部、読んじゃったしなあ)」

当時、文庫本になっていた石坂洋次郎の小説は、読破してしまっていた。

「(『シュードー』(修道高校)も『ガクイン』(広島学院高校)も『フゾク』(広島大学附属高校)も受験する訳じゃないから)」

だから、暇なのだ。『コーリツ』(公立高校)と『シリツ』(滑り止めの私立の高校)を一つ、受験するが、その為の受験勉強はしていないし、する必要があるとは思っていなかった。




「(級長の経験があったら、それだけで合格なんじゃと)」

と母親が説明した。滑り止めのその私立の高校のことである。

「(『コーリツ』(受験)も、何を勉強するんだろう?)」

『コーリツ』は、エヴァンジェリスト少年程の学力があれば、特別な受験勉強をする必要もなく、合格できると、傲慢ながら思っていた。しかし、本人だけではなく、親も教師もそう思っていたのだ。

「(『花と果実』も『だれの椅子?』も読んだし)」

石坂洋次郎の小説である『花と果実』と『だれの椅子?』は、文庫化される前の単行本として購入し、それも既に読んでしまっていたし、それまで散々お世話になってきた石坂洋次郎には申し訳ないが、

「(なんか詰まらないなあ)」

と思ってしまった。それは、『石坂洋次郎』を読み過ぎ飽きてきたのかもしれなかったが、エヴァンジェリスト少年の成長であったであろうし、そして、『倉本聰』のせいでもあったのだ。

「♬なみーきよ、さかーあよ♫」

という挿入歌にも心惹かれた、『石坂洋次郎』原作というよりも、『倉本聰』脚本の『颱風とざくろ』が、『石坂洋次郎』を詰まらなく感じさせるようになってしまっていたのだ。

かくして、エヴァンジェリスト少年は、『石坂洋次郎』を卒業し……


(続く)




2020年1月18日土曜日

ハブテン少年[その153]




『少年』は、その年(1969年)に放映が始まったテレビ・ドラマ『水戸黄門』主演が、気に入らず、ハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「(さっぱり、分らない…)」

エヴァンジェリスト少年は、自宅の居間のテーブルに、読みかけのその本を伏せた。

「(まあ、題名も面白そうではなかったし…..)」

と思いつつも、再び、本を手に取り、読書を続けた。少年が手にしている新潮文庫の題名は、『白い人・黄色い人』であり、その時、読んでいたのは、『白い人』であった。

「(でもまあ、厚くないし、読むかあ)」

作者は、遠藤周作という小説家であった。65歳になった今(2020年1月)、どうして、中学3年の時、遠藤周作の『白い人』を読むことにしたのか記憶はないが、何か小説を読もうと、書店で文庫棚の本を探していた時に、たまたま手にしたら、それが芥川賞を受賞した小説であったから、としか思えない。

「(石坂洋次郎とは全然違うなあ……)」

それはそうであろう。小説家は各々、作風は違うものだ。しかも、石坂洋次郎はどちらかといえば、大衆小説・中間小説の作家であり、遠藤周作の『白い人』は純文学の小説であるのだ。



しかし、少年はまだその時、知らなかった。石坂洋次郎と遠藤周作とは共に、慶應義塾大学の文学部出身という共通点があることは。そして、将来、そこに自分も深く関係することになろうとは。

「(全然、ドキドキしないし)」

『石坂洋次郎』は、少年の恋や性に対する興味を掻き立てた。

「(んぐっ!)」

『石坂洋次郎』は、小説とそれを原作にしたドラマ(または、映画)があり、二重に、少年の股間を

「(んぐっ!)」

させた。なのに、『遠藤周作』ったら、

「(頭が痛くなるなあ)」

としか思わせなかったのだ。


(続く)




2020年1月17日金曜日

ハブテン少年[その152]




『少年』は、その年(1969年)、アポロ11号で人類初の月面着陸が為されたが、宇宙飛行士が月面に星条旗を立てたことに、ハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「ああ……」

ブラスバンドの演奏が終った時、溜息をもらしたのは、『パルファン』子さんだけではなかったように見えた。エヴァンジェリスト少年の股間を捉えるあの『肉感的な』少女も、他の殆どの『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の女子生徒も、

「ああ……」

と、客席で腰を抜かしたような状態になっているように見えたが、程なく、

「バチバチバチバチバチバチ!」

ホール中に、拍手が鳴り響いた。1969年の『ミドリチュー』の文化祭、ブラスバンドの演奏であった。演奏された曲は、映画『マイ・フェア・レディ』のメドレーであった。

「うんうん」

ブラスバンドの顧問で、演奏の指揮もしたムジカ先生も満足そうに、エヴァンジェリスト少年を見た。

「お前、ホントに、うもうなったのお」

と、練習の時に、主旋律を任せるテナー・サックス担当のエヴァンジェリスト少年にそう云った通りの出来であった。

「(まあ、『マイ・フェア・レディ』の曲は何回も聞いていたからなあ)」

次兄のヒモ君が、英語好き、映画好きであり、『マイ・フェア・レディ』を観に行き、サントラ盤のレコードも買って、毎日、プレーヤーでかけていた。

「(曲を知っていたら、大丈夫だ。主旋律だし)」

1年生の時の「フィンランディア」も2年生の時の「新世界」も殆ど知らない曲であり、アルト・サックスは主旋律ではなかったので、曲のどこで吹き出していいのか分からないまま演奏していた。

「(どんなストーリーかも知っているし)」

エヴァンジェリスト少年は、映画『マイ・フェア・レディ』を観に行ってはいなかったが、ヒモ君からどんなストーリーであるかは聞いていた。レコードのジャケットに訳詞もあったので、曲(歌)の意味も理解できていたのだ。だから、感情移入もできたのだ。

「ああ……」

拍手はするものの、客席で放心状態になっているように見える女子生徒たちも、受け容れ易いメドレーであった。

映画『マイ・フェア・レディ』を観た女子生徒も多く、観ていない女子生徒も、殆どの曲が聞いたことがあるもので、彼女たちも感情移入し易く、また、エヴァンジェリスト少年のテナー・サックスが少女たちを酔わせたのだろう。

「(アタシはイライザ……『ボクのスリッパは、どこ?』と訊いて!)」

この文化祭での『マイ・フェア・レディ』の演奏を最後に、エヴァンジェリスト少年は、ブラスバンド(吹奏楽部)を引退した。

「明日から、お前、ブラスバンドに入れ」

と、『ミドリチュー』に入学早々、ムジカ先生に『命令』され、まだハブテルことを知らず入部し、3年間、好きでもないのに続けてきたブラスバンドであった。

『ミドリチュー』の吹奏楽部は、3年間、一度もブラスバンドの大会に出場することもなく、演奏するのはただただ、体育祭での賞状授与式の『得賞歌(見よ 勇者は帰る)』と文化祭だけであった。それだけの力しかなかったのであろう。マーチング・コンテストで金賞を獲る等の活躍をする、今の(2020年頃の)『ミドリチュー』のブラスバンド部員には信じられないことであろう。


「ほいじゃ、明日の放課後から音楽室に来い」

と、ムジカ先生に云われてしてきただけのクラブ活動だから、エヴァンジェリスト少年に、引退そのものには何の感慨もなかったが、ただ一つ、残念なことがあった。

「(ああ、もうプロレスができない……)」

正確には、ブラスバンドの練習をする音楽室の入口前のスペースで、ジャスティス君やスキヤキ君とプロレスごっこができないことを惜しんだ。いやいや、正直になろう。

「(ああ、もう『んぐっ!』できない……)」

そうだ。ブラスバンドの練習をする音楽室の入口前のスペースで、ジャスティス君やスキヤキ君とプロレスごっこをしながら(プロレスごっこをする振りをして)、そこにある窓の向こう、本校舎の教室に『パルファン』子さんとあの『肉感的な』少女の姿を見ることができなくなることを惜しんだのだ。


(続く)



2020年1月16日木曜日

ハブテン少年[その151]




『少年』は、その年(1969年)、アポロ11号で人類初の月面着陸が為されたが、その時の映像を見る限り、月にウサギはおらず、かぐや姫もいそうではないことに、ハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「(『運がよけりゃ[With A Little Bit of Luck])』…ええ、運が良かったら、アナタと….)」

暗い座席に身を潜めながら、少女は、ステージの少年に光る眼を送っているように見える。

「(『いつも歩くの、あの通り[On the Street Where You Live]』、そう、アナタのウチの前の通りよ、ドキドキしながら)」

少女の瞼には、ステージで身を傾けながらテナー・サックスを吹く少年の自宅の門の中の垣根の向こうの部屋を伺う自分の姿が浮かんでいるのだろうか。

「(うん!『ステキ[Wouldn't It Be Loverly])』よ!アナタとの部屋があって、チョコ食べて…)」

ステージの少年は、テナ-・サックスのリードを舐め、客席の少女は、チョコがついたかのように自らの唇を舐めているように見える。

「(『ディンドンって、ああ、教会の鐘が鳴る[Get Me to the Church on Time]』のね、アタシたちの結婚式の...)」

教会の前で純白のウエディング・ドレスを身にまとった自分と、タキシードを着て何故かテナ-・サックスを持つ少年の姿を夢想しているのだろう、きっと。

「(ううん、『眠れないわ!ええ、踊り明かしましょう!』[I Could Have Danced All Night)])」



『広島市青少年センター』のホールの客席に座ったまま、微かだが、社交ダンスを踊るように少女の体が動いているようだ。


(続く)





2020年1月15日水曜日

ハブテン少年[その150]




『少年』は、その年(1969年)、アポロ11号で人類初の月面着陸が為されたが、月にウサギがいる様子はなかったのに、宇宙飛行士が月面をピョンピョンと歩く姿が予想通りなのは、なんだか裏切りのような気がして、ハブテた。

ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったが、ハブテた。


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「疲れたあ…」

帰宅すると、エヴァンジェリスト少年は、居間のソファーに身を投げ出した。

「あんたあ、どしたんねえ?」

夜7時になっても帰宅しない末息子を心配していたハハ・エヴァンジェリストが、台所から出て来た。

「今まで何しよったん?」
「コーセイしていた」
「コーセイ?」

少年は、パンヤ先生に頼まれ、印刷所に行き、学校からのお便りの校正をして来た母親に事情を説明したが、母親は、納得しきれず、

「学校行って、訊いてくる」

と云って、持ち前の行動力で早速、翌日、学校に行ったが、

「あんたらが優秀じゃからじゃと」

と、エヴァンジェリスト少年が納得してしまったのと同じように納得させられてしまった。

確かに、エヴァンジェリスト少年だけではなく、ジャスティス君もスキヤキ君も成績のかなりいい生徒であった。その優秀な3人の生徒が、たまたまブラスバンドに入っていたのだ。

しかし、いくら優秀でも、そして、学校関係の手伝いをさせるにしても、親に連絡もせず、中学生を夜まで拘束していいことはなかったのだが。

「本当は、『フゾク』か『シュードー』に入っとんたんじゃけえねえ」

エヴァンジェリスト少年は、中学受験するはずだったのだ。皆実小学校での成績も良く、6年生の時には、成績優秀な子たち数名で、内緒で小学校の先生に私塾を開いてもらっていたのだ。そこでも、エヴァンジェリスト少年は、抜群の理解度を見せていたのだ。



「ごめんねえ……」

当時(1960年代)から超進学校であった『フゾク』(広島大学附属中学)でも『シュードー』(修道中学)にでも、『ガクイン』(広島学院中学)にでも合格するだろうと云われていたのだ。しかし、同じ年、長兄(オーキョーニーチャン)の大学受験もあり、更には、次兄(ヒモ君)は一足先に、私立で授業料が決して安くはない『シュードー』に入っており、家計的に苦しく、末息子に中学受験を断念させざるを得なかったのだ。

「別に構わないよ」

校正で疲れ、返事をするのも億劫であったこともあったが、エヴァンジェリスト少年は、『フゾク』でも『シュードー』でもなく、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)に入学したことに、本当に後悔はなかったのだ。

「(だって、『ミドリチュー』に入ったからこそ、『パルファン』子さんに会え、あの娘(『肉感的な』あの少女だ)にも会えたんだから)」

と2人の少女の姿を思い浮かべると、思わず、

「(んぐっ!)」

『元気』を取り戻した。酷いことに、『ミドリチュー』1年生の時に『妻』であった『クッキー』子さんのことはもう忘れていた。

「(特に、『シュードー』や『ガクイン』なんて、とんでもない)」

『シュードー』も『ガクイン』も、男子校なのだ。

「(ああ、『パルファン』子、ああ、あの娘……んぐっ!んぐっ!)」

ハハ・エヴァンジェリストは、突然、ソファーから身を起こした息子に、

「どしたん?」

身を引いた。

「お腹すいた」


(続く)