2022年4月25日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その209]

 


「じゃあ、また別の質問をしよう」


と、『少年』の父親は、『少年』に向け、どこか楽しそうに、そう云った。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「我々は、『昨日』に行くことができるか?」

「へ?タイムマシンのこと?そんなの本当にあるの?」


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したが、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、新たな質問を『少年』に投げかけたのであったが、その質問は不可解としか思えないものであった。


「そういえば、まもなく『タイムトンネル』っていうドラマが始まるらしいぞ」


1967年4月8日から、NHKでアメリカのSFテレビ・ドラマ『タイムトンネル』が始まることになっていたのである。


「え?トンネル?」

「見てみないと分からないが、トンネルに入ると未来や過去に行けるらしい。一種のタイムマシンだな」

「でも、ドラマでしょ?」

「そうだな。ドラマだから、タイムマシンだけど、過去にも行けるんだろ」


と、『少年』の父親は、敢えて、そういう云い方をした。


「え?過去じゃなく、未来だったら、本当に行けるの?そんなタイムマシンがあるの?あ、そうかあ、『相対性理論』だね。光の速度に近い速度で宇宙旅行ができるようになったら、未来には行けるんだね。ん、その話はもう聞いたよ」

「おお、もう理解したんだな。いいぞ。そう、『相対性理論』だと、未来にしか行けないな。でも、過去にも行くこともできるんだ」

「ドラマのタイムマシンだったらでしょ?」

「いや、タイムマシンはいらない」

「夢でも見るの?」

「まあ、飛行機か船でもあればいい。場所によっては、クルマでもいいし、歩いてでもいいだろう」

「ああ、光の速度に近い速度の飛行機や船ができたり、人間だって、『エイトマン』のように、ううん、『エイトマン』は『♫弾よりも速く』だから、『エイトマン』よりももっと速く、光くらいの速度で走れるようになったら、っていうことだね。でも、そんなの無理だよ」


漫画『8マン』が1963年から1965年にかけて連載され、テレビ・アニメの『エイトマン』が1963年から1964年にかけて放映されていた。



「いや、光の速度に近い速度で移動できなくてもいい」


と、『少年』の父親は、真顔であった。



(続く)




2022年4月24日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その208]

 


「そうだあ…『1年』が、『365日』だったり『366日』だったりするのは」


と、『少年』は、何かを思い出す時の仕草をして、そう、黒目を斜め少し上にやったままで、言葉を続けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「『1年』が、地球の公転期間だからでしょ?地球が太陽の周りを1回、回るのが『1年』で、それは、正確には『365日』ではなく、『365日』より少し長くて、でも『366日』よりは短くて…」


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があることから『1年』という時間は一定ではないと主張し、時間が長かったり、短かったり、つまり、遅かったり、早かったりしていると云いだしたが、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいたのだ。


「そう、『365.2422日』だ」


と、『少年』の父親は、即座に細かな数字を諳んじてみせ、『少年』はそれを受け、語り出した。


「でも、『1年』をその『365.2422日』という中途半端な日数にすると、1年の内のある日を、24時間じゃなくって、『0.2422日』分長い日という、変な日にしなくっちゃいけないから、それじゃ困るから、普通の年は、『365日』にして、4年に1回、オリンピックの年に1日増やして『366日』にして、1年に『0.2422日』分ずれたのを取り戻しているんだと思う」


当時(1967年である)はまだ、夏季オリンピックも冬季オリンピックも同じ年に開催されていた。夏季オリンピックと冬季オリンピックとが、2年ずれて開催されるようになったのは、1994年のリレハンメルの冬季オリンピックからである。




「おお、よく勉強しているな。その通りだな。もっと正確にいうと、4年に1回、閏年にして、ビエールのいう『ずれ』を取り戻しているとはいっても、『0.2422日』かける『4』、つまり4年分だと、『0.9688日』で、実は『1日』に満たないから、更に、そのずれを調整しているんだ」

「そうかあ。でも、どうやって?」

「『西暦が4で割り切れる年は、普通は、『閏年』だ。でも、西暦が4で割り切れる年でも、西暦が100で割り切れて、400で割り切れない年は、『平年』とするようにしているんだ。だから、『2000年』は、100で割り切れ、400でも割り切れるから、『閏年』で、『1900年』は、100で割り切れるが、400で割り切れないから、『閏年』じゃあないんだ」

「へええ、そうなのお。じゃあ、西暦が4で割り切れる年なのに『閏年』にならないのは、次は、いつなの?」

「『2100年』だな。『2100年』は、100で割り切れるが、400で割り切れないからな。だから、『2100年』は、ちょっとややこしい問題が起きるかもしれないぞ」


『少年』の父親は、その言葉を、コンピューター・システムへの影響を想定して口にしたものではなかったが、その直感的な指摘は、彼の聡明さを証明していたのであった。


「ああ、『2100年』って、ボク、生きていたら、146歳だ。でも、そんなに生きている訳ないから、なんか、ピンとこないよ」

「だが、これで分っただろ?一口に『1年』といっても『365日』だったり『366日』だったりして、それも、必ず4年に一回が『366日』になる訳じゃないんだから、『時間』って、結構、速かったり、遅かったり、うん、そうだなあ、ちょっといい加減って云っていいかもしれないもんなんだ」

「そりゃ、そうかもしれないけどお…」


と、『少年』は、父親の説明に反駁はできないものの、まだ納得しかねるという表情を隠さない。



(続く)




2022年4月23日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その207]

 


「10月1日だよ」


と、『少年』は、誕生日はいつか、という不可解な父親の質問に答えたものの、不満げな様子を隠さなかった。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「父さんだって、知ってるじゃない」

「では、今年の10月1日と来年の10月1日は、同じ日なのか?」


と、『少年』の父親は、『少年』の不満を無視し、またまた『少年』を混乱させる質問を投げかけてきた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えたが、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、妙なことを云いだしたのだ。


「そりゃあ、同じ日だよ。あ、でも、来年の10月1日は、今年の10月1日から1年経過しているけどね」

「1年経過しているって、どういうことだ?つまり、1年って、どういう期間、時間のことだ?」

「ああ、それは、1年は1年だよ。えーっとお…そう、365日後だよ」

「おお、そうかあ?来年の10月1日は、今年の10月1日の365日後なのか?間違いないか?」

「そうだよ。あ!....そうかあ、来年の10月1日は、今年の10月1日の365日後じゃなくって、366日後だよ」


『今年』、つまり、『少年』と『少年』の父親が会話していたその年は、1967年であった。従って、『来年』は、1968年であった。


「では、再来年の10月1日は、来年の10月1日の何日後なんだ?」

「うん!それは、365日後だよ」

「変じゃないか?ある時は、10月1日が、前の年の10月1日の366日後で、ある時は、365日後だったりするのって?」

「だって、閏年があるからでしょ?」

「そうだな。閏年があるからだな。閏年は、2月が29日まであって、1年が1日多いんだな」




「そうだよ。そのくらいは知っているよ」

「では、1年は一体、365日なのか?それとも366日なのか?」

「どっちでもあるんじゃないの」

「そうだな。その通りだな。しかし、そうだということは、『1年』という時間は、『365日』だったり『366日』だったりと、一定じゃないということになるぞ」

「ああ…そうだけど…」

「だったら、『相対性理論』まで持ち出さずとも、身近なところで、時間って、長かったり、短かったり、つまり、遅かったり、早かったりしていることが分るじゃないか」

「そうだけどお….それって、なんか変な…誤魔化されているような」



(続く)




2022年4月22日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その206]

 


「『浦島太郎』は、竜宮城から戻ってきたら、『♪元いた家も村もなく、みちに行きあう人々は、顔も知らない者ばかり』だっただろう?」


と、珍しく、『少年』の父親が、『少年』に向け、歌った。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「うん、竜宮城にいた日数よりもずっと年が過ぎていた、ってことだよね」

「そのことを、玉手箱を開けて、あっという間に、お爺さんになってしまった、ということで表したんだろう」

「それが、『アインシュタイン』と関係あるの?お爺さんになった『浦島太郎』が、『アインシュタイン』にベロを出したんじゃあないと思うし…」


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、『少年』の父親は、時間の進み方が遅かったのかもしれない、という、『少年』が思いもしなかったことを云い出し、更には、『浦島太郎』に『アインシュタイン』まで持ち出してきたのだ。


「『相対性理論』だ」

「ああ、中身は知らないけど、『アインシュタイン』が考えた理論でしょ?」

「そうだ。『相対性理論』が、『浦島太郎』と関係あるんだ」

「え?『相対性理論』って、『浦島太郎』があっという間に、お爺さんになってしまったことを説明しているの?」

「というか、さっきビエールが云った『竜宮城にいた日数よりもずっと年が過ぎていた』ということを説明しているんだ」

「『アインシュタイン』って、『浦島太郎』の話を知ってたの?」

「『相対性理論』といっても、正確には『一般相対性理論』ではなく『特殊相対性理論』の方だが、それに依ると、『時間は観測者ごとに存在する』んだ」

「え?ええ?...何だかよく分らないけど、時計は、ちゃんとネジを巻いていたら、誰が見ても同じ時間を指していると思うけど…」




「それがそうじゃないんだよ。『特殊相対性理論』に依ると、『速く移動する程、止っているものより時間の進み方が遅くなる』んだそうだ」

「まさかあ」

「『光速度不変の原理』というものがあって、『止っている人から見ても、光速に近い速さで移動している人から見ても、光の速さは、どちらも秒速30万kmで進んでいる』んだ。だから、例えば、光の速度に近い速度で宇宙旅行をした人が、何年かして地球に戻ってきた時には、地球は、宇宙旅行で経過した何年かではなく、もっとずっと先の未来になっている、ということなんだよ」

「えええ???全然、理解できないよお。だけど、それが『浦島太郎』で、村に帰ったらすっごく時間経過していたという話とおんなじだってことなんだね」

「そういうことだ」


『少年』の父親が話した内容は、俗に『ウラシマ効果』と呼ばれるもので、『少年の父親が『少年』に説明した時(1967年である)より少し前に、SF同人誌「宇宙塵」主宰者である『柴野拓美』が、命名したともされるが(SF作家であり大学の教授でもあった『石原藤夫』が名付け親ともされるようだが)、『少年』の父親が、『ウラシマ効果』なる呼び方をその時、知っていたかどうかは定かではない。


「でも、じゃあ、『浦島太郎』が乗った亀は、光の速度で泳げたの?ボクたちは、八丁堀から牛田まで、光の速度に近い速度で動くバスに乗っていたの?」

「さあ、それはどうかなあ…じゃあ、また別のことを訊こう。ビエールの誕生日はいつだ?」


と、『少年』の父親は、『少年』に謎の問いをしてきた。



(続く)




2022年4月21日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その205]

 


「『浦島太郎』がおとぎ話とは、限らんぞ」


と、『少年』の父親は、『少年』が思いもしなかったことを云い出した。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「ええー?亀に乗って竜宮城に行った人がいるの?」


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、『少年』の父親は、時間の進み方が遅かったのかもしれない、という、『少年』が思いもしなかったことを云い出し、更には、『浦島太郎』まで持ち出してきたのだ。


「いや、問題は、そこじゃない」

「じゃあ、あっという間にお爺さんになった人がいるの?」

「そうではないが、そのことに関係はあるんだ。『アインシュタイン』って、知っているか?」

「うん、偉い物理学者でしょ。ベロを出してるお爺さんな写真を見たことがあるよ。え!?まさか、『アインシュタイン』が『浦島太郎』だったんじゃないでしょ?」





「そうじゃないな。『アインシュタイン』は、ドイツ人で、『浦島太郎』は日本人だから、ということではないぞ、ふふ」

「でも、『小泉八雲』は日本人だけど、『ラフカディオ・ハーン』っていう外国人だったんでしょ?イギリスの人だったかなあ?」

「おお、そうきたか。いいぞ。『小泉八雲』を知っていたか」

「うん、『耳なし芳一』なんかの話を読んだことがある。怖い話だった」

「でもなあ、『ラフカディオ・ハーン』が何人(なにじん)かは、うーむ、難しいところだな。生まれは、ギリシャだったそうだが、お父さんはアイルランドの人で、お母さんはギリシャの人で、でも、彼はイギリス人だったんだ」

「ええ?アイルランド人でも、ギリシャ人でもなく、イギリス人だったの?ああ、でもそうだね。国とか国名、そしてどこの国の人かということを云うのは、簡単じゃあないんだよね」



(参照:【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その61]



「そうだ。当時、アイルランドはまだ独立していなくて、イギリスだったんだ。今でも、北アイルランドは、イギリスだ。それにな、『ラフカディオ・ハーン』が生れたのは、ギリシャの『レフカダ』という島なんだが、これも当時は、イギリスの保護領、つまり、イギリスの、まあ、植民地だったんだ。『ラフカディオ・ハーン』は、正式には、『パトリック・ラフカディオ・ハーン』という名前で、ミドル・ネームの『ラフカディオ』は、生れた『レフカダ』から付けられた名前だそうだ」

「『ラフカディオ』…『レフカダ』…ん、似たような言葉だね」

「というようなことから、『ラフカディオ・ハーン』の国籍はイギリスで、その意味で、『ラフカディオ・ハーン』は、イギリス人だったんだ」

「でも、何人(なにじん)って、国籍のことを云うだけとは限らないものね」

「そうだ。『アインシュタイン』は、国籍はドイツだからドイツ人だけど、ユダヤ人なんだ」

「だけど、日本人ではなかったんでしょ?なのに、『アインシュタイン』は、『浦島太郎』とどんな関係があるの?」


と、『少年』は、またもや派生に派生を重ねていきかけていた父親との会話を、少し巻き戻した。



(続く)




2022年4月20日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その204]

 


「そうかあ、うーむ、父さんの話が長いと思っていたのか?」


と、『少年』の父親は、『少年』に覗き込まれた自らの顔を少しく歪めた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「父さんの話が、ただ取り留めもなく、だらだらと続く、『デラシネ』なもののように思っていたのかあ」

「『デラシネ』?」

「ああ、『デラシネ』ってな…」

「そうじゃないんだ。父さんは、『福屋』の大食堂でも色んなことを教えてくれたけど、八丁堀からバスに乗ってからは、もっともっと色んなことを、沢山のことを教えてくれたと思う」

「ビエールは、その話にちゃんと付いてこれたと思う。それは凄いことだと思う」

「でもね、疑問があるんだ」

「え?」

「八丁堀から牛田って、バスで10分から15分くらいなんでしょ?」

「そうだ。大体、そのくらいだな」

「その10分から15分くらいの間に、父さんは、あんなに沢山のことをボクに話してくれたの?」

「そんなに深く話したわけではないが、色々と話はしたな」

「八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がするんだ。ううん、時間はあまり経っていないのに、どうして、あんなに沢山ことを父さんから教えてもらえたんだろう?」

「ああ、そういうことかあ。時間の進み方が遅かったのかもしれんな」

「ええ!?時間が早く進んだり、遅く進んだりするの?そんなことってあるの?」

「あるんじゃないかなあ。ビエールはまだ、小学校を卒業したばかりだから分らないだろうが、小学校の時代って、とっても長かったように感じるものなんだ。同じ6年でも大人になってからの6年なんて、あっという間に過ぎ去っていくんだよ」

「ふううん。でも、それって、そう感じるだけでしょ」

「さあ、どうだろう?『浦島太郎』は知っているだろ?」

「勿論、『♫助けた亀に乗せられて竜宮城に行ってみれば』で、でも、玉手箱を開けて、お爺さんになったんでしょ」




「そう、『浦島太郎』は、あっという間に、お爺さんになったんだぞ」

「『浦島太郎』は、おとぎ話だよ」



(続く)




2022年4月19日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その203]

 


え?だって、色んなことを知っていた方がいいと思うんだけどなあ。父さんみたいに」


と、『少年』は、不思議そうに父親の顔に視線を向けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「色んなことを知っていて、それが何になるんだ?」


という『少年』の父親の言葉は、自分に向けてのもののようでもあった。


「色んなことを知っていると、色んなことをする時に役に立つんじゃないの?」

「であれば、何かをする時に、それをするのに必要なことを知ればいいんだ。今は、いろいろな知識を得るのに、色々な本なんかを読んだり、学校で習ったりして、覚えなくちゃいけないが、いずれ、科学技術が進歩して、知識や情報なんて、必要な時にその場で直ぐに得られるような時代が来るんじゃないかと思う」


『少年』の父親は、それから(1967年であった)30-40年後に、簡単に『ググる」ことをができる時代が来ることを予見していたかのようであった。


「それにだ、問題は、何を知るか、知ろうとするか、だと思う。いや、問題は、それだけじゃないな。何かを知ったとして、果して、それだけでいいのか?ただ、何かを知っているだけではダメなんだ。色々なことを知っているだけではダメなんだ」

「何かを知って、それをどう活かすかが大事なのかな…」


と、『少年』は、父親の言葉を理解しきれなかったが、自分なりに考えたことを口にした。しかし、『少年』の父親は、『少年』のその言葉が聞こえなかったのか、或いは、聞こえはしていたかもしれなかったが、何れにしても、『少年』の言葉に直接的に答えるのではなく、独り言のように話を続けた。


「大事なことは、疑問を持つことだ。得た知識に満足してはダメだ。その知識を鵜呑みにしたり、その知識の背景に考えを及ぼさないでいるとしたら、そんな知識は不要、いや邪魔なものでさえあるんだ」




『少年』の父親は、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で自戒を込めたように云ったのと同じような言葉を、同じように自戒を込めたかのように口にした。



(参照:【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その42]



「え!?知識が邪魔になることってあるの?」

「そうだ。総てを疑え!いや、相手のことを信用するな、ということではないんだ。与えられた、得られた事実や現象を歪めて見ろ、ということでもないんだ。眼の前のものをそれが、本当に自分が見えている通りのものなのか、見ているだけのものなのか、と疑問を持つことだ。そう見えているのは、何故なのか?それがそうあるのは何故なのか、と疑問を持つことが大事だ…父さんは、そう思う」


と、『少年』の父親は、ようやく独白のような言葉の放出を止めた。その時、『少年』が、暗がりの中で輝く快活さを見せ、云った。


「そうかあ!疑問を持つことが大事なんだね!だから、父さんは、『福屋』で、『お子様ランチ』から『福屋』のマークのこと、ハンバーグのことからドイツの『俘虜』の話をしたり、更に、その漢字の成り立ちについて教えてくれたり、『天満屋』のことを教えてくれながら、『シーボルト』や『結婚』のことや『ナポレオン』、『コマ』のこと、『狛犬』のこと、『麒麟』のこと、『二宮敬作』や『高野長英』、それに、『イネ』のことなんかを教えてくれたのも、次々と疑問が湧いてくるものだからだったんだね。ただ、話が長かったんじゃないんだね!」

「おいおい、父さんの話が長い、と思ってたのか?」


と云いながらも、『少年』の父親の両方の頬が緩んだ。


「うん、そこなんだよ!」


と、『少年』は、歩を止めて、父親の顔を覗き込んだ。



(続く)