2024年3月14日木曜日

チョコガム問題【非ハーバード流屁理屈論】(その427)

 


「(だけど、『哀れなるものたち』は、やはり凄い映画だったんだ!)」


と、ビエール・トンミー氏が、鮮明に残っている映像を思い出しながら、独り興奮していると(変な『興奮」ではなく、純粋な興奮だ)、友人のエヴァンジェリスト氏から、その興奮を嘲笑うようにも思えるが、意外にもその映画の真髄の一部を指摘しているようでもあるiMessageが入ってきた。



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「要するに、アンタ、『インモー』だけ見たんじゃね?」

「おお、さすが伝説のネット師や。もうデジタル・ハンターしたんかいな。そやで、主人公の『ベラ』は、娼婦になって客の『相手』をするさかい、そこは当然、『インモー』も見えるんや。でも、『インモー』だけ見てたんとちゃうで。最初は、『ケッタイな映画』と思うとったけど、途中からどんどんオモロなってきて、最後は『アッと驚く為五郎』や」



「ゲバゲバ」

「不思議な世界観と映像の映画やった。ワテもう一回見に行っちゃろと思うてんねん。さすがアカデミー賞と期待されとる映画や、と思うたで」

「作品賞は取れんかったけど、アカデミー賞、幾つもとったんじゃね。アンタの『推し』が効いたん?『メイクアップ&ヘアスタイリング賞』と『美術賞』は、『主演女優賞』の『エマ・ストーン』の『ヘア』が良かったあ、いうことなん?」

「アンサン、そないな発想しかできへんのか?この映画のサイトを見てみいな。サイトには、『特別映画』があるんやけど、コレ見てもこの映画の不思議な世界観は余り伝わらへんと思うがな。今までに見たことない映画や。ホンマに不思議な世界観やったで」

「大人の体を持ちながら、生来の(つまり、純粋なる)オゲレツを持ち続けるワシは、『ベラ男』なんじゃろうか?」

「お、そこまでデジタル・ハンターしたか。せや、主人公の『ベラ』は、身投げして死んだんやが、自分の胎児の脳を移植され、蘇生したんや。で、体は大人やけど、新生児の目線、いうか、幼子の無垢な精神で世界を見ていくんや。普通やあらへんやろ。そやな、ある意味、そやな、アンサン、『ベラ男』や。あの映画とは全くの別もんやけど、アンサンも『異常な世界観』持ってるさかいな」


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「(そうだ。アイツは、異常も異常、大いなる異常者だ。そうだ、あの頃から、ずっと異常だったんだ)」


と、ビエール・トンミー氏は、1970年、『広島皆実高校』の1年7ホームの教室で、『<ナンカイ>に入らない?』と意味不明な言葉で話し掛けてきた、アイツこと友人のエヴァンジェリスト氏の制服姿を思い出した。



[参照]


夜のセイフク[その4]


夜のセイフク[その5]



(続く)






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