2023年8月5日土曜日

チョコガム問題【非ハーバード流屁理屈論】(その205)

 


(でも、どうせまた直ぐに、何かの言葉尻を拾って、話をオゲレツに持っていくんだろう)」


と、ビエール・トンミー氏が、高を括っていると、その『高』を打ち砕くようなiMesssageを友人のエヴァンジェリスト氏が送ってきた。



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「世の人々が騙されるんは、『前提』を疑わんけえよ」

「はああ?」

「アンタあ、選挙には行くん?」

「ああ、せやなあ。まあ、行ったり、行かんかったり、最近は、とんとご無沙汰やなあ」

「アッチもソッチもご無沙汰なんじゃね」

「えらいお世話やで。せやけど、なんで選挙のことなんか訊くんや?」

「ワシの知り合いでの、選挙権持って以来、50年くらい、一回も投票しに行ったことのない人間がおるんよ」

「そりゃ、珍しいで。なんでや?」

「その人に訊かれたことがあるんよ。『自分の一票で政治が変わる可能性がある、と云う人間、思う人間がいるが、それは正しいのか?』との。アンタ、どう思う?」

「うーん、せやなあ、実態としてはなかなか難しいとこがあるけど、選挙の結果は、各個人の投票、つまり一票の積み重ねの結果やから、その通りで、間違うてないんやないんか?」

「その人が云うんには、『本来、政治をしてしかるべき者が立候補できる環境にはない。結局、2世、3世、秘書、金持ちといった輩しか立候補できない。その最たる存在が、総理大臣になったりしている。どういうことかと云うと、政治をしようかと思っても、普通の人間は、供託金も出せないし、落選した場合、職を失い、生活に窮する。つまり、政治をしてしかるべき者、少なくとも、心から政治をしようと思う者が立候補できる環境にはない中の選挙で、議員を選ぶのだ。そんな選挙に何の意味があるんだ。一般市民とは別世界の、ある種の特権的階級の中からの選抜を、そんな世界とは無関係の一般市民がするのだ。要するに、選びに値しない者たちの中から選ぶしかないにも拘らず、選挙という権利を持っているんだ、とか、自分の一票で政治が変わる可能性がある、と云われて、それを素直に信じるんは、愚かじゃ』と」

「その理屈、うーむ、どっかで聞いたことあるよな気がするでえ…」



[参照]

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その40]

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その41]



「ワシは、アンタのような人間に国会議員になって欲しい。いや、アンタこそ、総理大臣になって欲しい。じゃけど、なかなかそうはいかんじゃろう?あ、でも、間違えんさんなよ、『掃除大臣』じゃないけえね」



「アンサン、真面目に話してんのか、巫山戯てんのか、ハッキリしてや」


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「(まただ。かなり面倒臭いが、何やら真面目な話をし始めた、と神妙に聞いていたのに…)」


と、ビエール・トンミー氏は、誰も見ていないのに、左眉を下げ、露骨にうんざり感を示して見せた。



(続く)






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