2020年9月7日月曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その108]






「おい、待てよ」

鎌倉文学館のバラ園を出て行こうとする友人ビエール・トンミー氏を追い、エヴァンジェリスト氏が、声を掛けた。

「どこに行くんだ?次は?」

ビエール・トンミー氏が、振り向き、答えた。

「大仏だ」
「おお、鎌倉の大仏だなあ。そりゃそうだ、鎌倉と云えば、大仏だものなあ」

と、浮かれるエヴァンジェリスト氏を背に、ビエール・トンミー氏は独り、どんどん歩を進め、鎌倉文学館を出て行った。

「おいおい、歩くの速いなあ。半年、君の方が若いからなあ」

と、エヴァンジェリスト氏は、半年歳下の同級生を追った。

「ボクはなあ、大仏にはちょっと五月蝿いん…」

と云う友人を無視し、ビエール・トンミー氏は鎌倉文学館へと上った道を、今度は下って行った。

「ちょっと、たい焼きでも食べていくか?」

『文学館入口』の標識のある交差点まで戻ると、エヴァンジェリスト氏が、『たい焼き なみへい』を見て、提案した。

「時間がない。行くぞ」

と、ビエール・トンミー氏は、『長谷観音前』の交差点方面に戻って行った。

「君は、日本三大仏を知っているか?」

怒ったように道を急ぐ友人に、背中から、エヴァンジェリスト氏が、クイズのような質問を出した。




「はあ?」

と、ビエール・トンミー氏は、面倒臭そうに云いながらも、

「鎌倉の大仏と、奈良の大仏…」

ついつい、友人の質問に乗ってしまった。『博士大先生』の本能的な反応であった。


(続く)



2020年9月6日日曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その107]






「おお、すまん、すまん。他の来館者に迷惑だったな」

と、エヴァンジェリスト氏は、テレビ・ドラマ『非情のライセンス』の主題歌『非情の街』を歌うのを止めた。

「ああ、そうだ」

とは云ったものの、ビエール・トンミー氏は、自分が友人の歌に怒りを覚えた真の理由を知っていた。彼もまた、『己を見る男』であった。

「アタシもトゲがあるよ」

『みさを』は、ここ、鎌倉文学館のバラ園でそう云ったのだ。

「生きていくには、トゲだっているの」

友人が唄った歌詞と同じ言葉を『みさを』は、ここで云ったのだ。そして、その時の彼女の表情は、エヴァンジェリスト氏が唄った歌と同じように暗いものであったのだ。




「(あの時、ボクは、彼女の云っている意味が判らなかった…)」

バラにはトゲがあるように、美しい女にもトゲがある、とよく云われていることを云ったのに過ぎないのだろうと思った。

「(それにしては、彼女の表情は暗かった…)」

と、淡い紫のバラの花を凝視めていると、

「ここは、デートにはぴったりだな」

と、無邪気と云えば無邪気だが、他人の神経を逆撫でする言葉をエヴァンジェリスト氏が浴びせてきた。

「行くぞ!」

ビエール・トンミー氏は、友人に背を向け、歩いて行った。


(続く)



2020年9月5日土曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その106]






「うーむ、君はやはり、ノーベル文学賞を受賞するに相応しい男だ」

ビエール・トンミー氏は、鎌倉文学館の庭園の南側にあるバラ園で、バラの香りを吸い込みながら、もう冷やかしではなく本心からの言葉を、友人のエヴァンジェリスト氏に向け、発した。

「おお。だが、ボクの世界の具現化、つまり映像化には、君が必要なんだからな」

というエヴァンジェリスト氏の言葉に、心友を持つことの有り難さを感じ、迂闊にも涙ぐみそうになった時であった。

「♩バラはな~げきのはーなかあ♫」

心友が、いきなり歌い出した。




「え!?」

心友は、眉間に皺を寄せていた。天知茂になりきり、テレビ・ドラマ『非情のライセンス』の主題歌『非情の街』を歌い出したのだったが、勿論、ビエール・トンミー氏が知る由もない。

「♩きずーをだーきなーがら♫」

とか、

「♩ひーとり、かーれのをあるくう♫」

とか、

「♩おーれがあーるく、みちわーいーつも、くーらくてとおーいい♫」

と一人、勝手に唄うエヴァンジェリスト氏に、ビエール・トンミー氏は、怒りが湧き出してきた。

「やめろ!やめろ、やめろ!」


(続く)




2020年9月4日金曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その105]






「人間椅子ならぬ『人間ベッド』だ」

と、エヴァンジェリスト氏が、神妙そうな顔に微かな笑みを浮かべた。エヴァンジェリスト氏と友人のビエール・トンミー氏は、鎌倉文学館の庭園の南側にあるバラ園にいた。

「は?人間椅子?『人間ベッド』?なんだ、それ?」

ビエール・トンミー氏は、友人に翻弄されながらも、それあの言葉に対し、本能的に隠微な香りを感じ、期待を込めて質問した。

「ふふ。江戸川乱歩はなあ、人間椅子なるものを考えたのだ。椅子の中に入り、と云うか、人間が入ることのできる椅子を作り、その中に入って、椅子に座る女性の感触を皮越しに得る、というものだ」
「おお、それは、ボク向きだなあ」
「だろ。だけど、人間椅子では、江戸川乱歩のパクリとなるから、人間ベッドとするんだ。『桃怪人エロ面相』は、人間ベッドにもなるんだぞ」
「それでもパクリだと思うがな」
「嫌か?」
「いや、そういうことではないんだが」
「人間ベッドは、皮ではなく布越しだから、女性の感触をもっともっと得ることができるんだぞ。それにな、体勢からして、人間椅子よりもっと、君の全身で、そうアソコを含めて女性と密着することになるんだ」




「うーむ、それは、人間椅子より人間ベッドの方がいいな」

ビエール・トンミー氏は、体のある部分に『異変』が生じるのを自覚した。それは、『人間ベッド』を想像したからなのか、眼の前にあるバラの香りに反応したものなのかは、分らなかった。


(続く)


治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その104]






「いや、『非情のライセンス』の原作は、生島治郎の兇悪シリーズだ」

エヴァンジェリスト氏が、友人のビエール・トンミー氏の質問に答えた。鎌倉文学館の庭園から鎌倉文学館の建物を見たエヴァンジェリスト氏は、『江戸川乱歩のドラマに出てくるような洋館だ』と云い、テレビ・ドラマ『非情のライセンス』の主演の天知茂の名前を持ち出したが、ビエール・トンミー氏は、『非情のライセンス』は、江戸川乱歩が原作なのか、疑問を呈したのだ。

「では、天知茂と江戸川乱歩に何の関係があるんだ?」

『非情のライセンス』も天知茂も江戸川乱歩も、実のところ、どうでもいいことと思いはしたものの、ビエール・トンミー氏は、頭の中の混乱が嫌で、質問を続けた。

「さすがの『博識大先生』もそのことは知らなかったのか。明智小五郎だよ」
「ああ、江戸川乱歩の少年探偵団に出てくる探偵だな」
「正確には、少年探偵団にも出てくる探偵だがな」
「なるほど、天知茂は、明智小五郎も演じていたのか」
「明智小五郎シリーズに対抗して、ボクは、『イボジ・イタカロー』シリーズも書くつもりなんだが、『天知茂樹』には、『イボジ・イタカロー』役も演じてもらう」
「その名前はなあ…でも、確か、少年探偵団には、怪人二十面相も出てきたと思うが、ボクが演じるべきは、そっちの方じゃないのか?」
「おおさすがだなあ、『博識大先生』!その通りだ。『『イボジ・イタカロー』シリーズには、敵役として、『桃怪人エロ面相』も登場する。『天知茂樹』は、つまり、君には、『桃怪人エロ面相』役もしてもらう。一人二役だ。大変だと思うが、お願いしたい」





「まあ、『桃怪人エロ面相』を演じることができるのは、ボクしかいないだろうなあ。仕方あるまい」
「その代りという訳ではないが、ご褒美的なストーリーも考えてある」

と、他人が聞いたら、呆れることを通り越したような会話を続けながら、二人は、鎌倉文学館の庭園の南側に歩を進めた。


(続く)


2020年9月2日水曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その103]






「おお、なかなかいいなあ」

と云うエヴァンジェリスト氏は、鎌倉文学館の特別展示室を出たビエール・トンミー氏と、鎌倉文学館の庭園にいた。

「うーむ、これは、江戸川乱歩の世界だなあ」

庭園から鎌倉文学館の建物を見上げたエヴァンジェリスト氏が、しみじみとした云い方をしたのであった。

「はあ?」

ビエール・トンミー氏は、友人の言葉の意味を理解しかねた。

「江戸川乱歩のドラマに出てくるような洋館だ」




「君は、江戸川乱歩が好きだったのか?」
「天知茂だ」
「え?天知茂って、確か…なんとかのライセンスじゃなかったか?」
「おお、さすが『博識大先生』。そうだ、『非情のライセンス』だ」
「君が、学生時代、上池袋の下宿で毎日、再放送を見ていた天知茂・主演のドラマだろ」




「そうだ。ボクは、いずれ『異常のライセンス』という小説を書き、そのドラマ化にあたっては、君に『天知茂樹』という芸名で主演をしてもらいたいと思っている」




「いや、ボクは余生を静かに過ごしたい」
「それだけの美貌を埋もらせたままとするのは、世の損失だ」
「それも分らなくはないんだが…」
「型破りな『変態』刑事の活躍を描く作品なんだぞ。『変態』ぶりを思う存分発揮できるんだ。違法捜査もなんのその、『変態』のやりたい放題なんだぞ」
「うっ!なかなか魅力的だが…」
「天知茂の『非情のライセンス』を超えるドラマは、君こと『天知茂樹』の『異常のライセンス』しかない」
「おお!」

と、その気になりかけたビエール・トンミー氏であったが、冷静さを取り戻した。庭園にいた他の来館者が、『変態』という言葉が耳に入ったのか、胡散臭いものを見る視線を送ってきたのに気付いたのだ。

「でも、『非情のライセンス』って、江戸川乱歩が原作だったのか?」


(続く)



2020年9月1日火曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その102]






「君の最初にして今のところ唯一の戯曲『されど血が』だって、『田村書店』で見出されることになるだろう」

と云うビエール・トンミー氏の言葉に、エヴァンジェリスト氏は、自身の戯曲が『田村書店』の本棚に並んでいる光景を想像したが、

「いや、『されど血が』は、雑誌『東大』に掲載したものを放送劇用に手直ししたが、あれも手書きだぞ。これも一部しかなく、出演者にはその一部を一緒に見ながら演じてもらったんだ」

と、やはり、まさかの思いの方が強くなった。

「そんなことくらい知っているさ。だって、主演はボクじゃないか。雑誌みたいなものである『何会』や『東大』だって手書きなんだから、『されど血が』も『田村書店』の本棚に並ぶのさ、だがな、それだけじゃあないんだ」
「は?他に何かあったかなあ…」
「テープだ」
「テープ?君が持っているエロ・テープか?」
「いや、時代はもうDVDはおろか、ブルーレイ・ディスクの時代でもなくネットの時代だ、そんなテープはもう棄てた。それにボクの持っていたエロ・テープが、どうして『田村書店』で売られるんだ」




「ボクは、エロ・テープは持っていないぞ」
「『されど血が』のテープだ」
「え!?」
「『されど血が』は、テープに録音し、それを広島皆実高校1年7ホームのホームルームの時間に流しただろ。その録音したテープだ」
「ま、ま、まさか!」
「『されど血が』は、君が作・演出し、音楽まで担当した作品だ。ノーベル文学賞受賞者の異色の作品として貴重なものなんだ」




「でも、そのテープが、どうしてあるんだ?ボクは持っていなかったと思うぞ」
「『石橋基二』先生だ。担任の『石橋基二』先生が、ずっと保管していらしたんだ」
「え!?『石橋』先生が!」
「先生というものは、有難いものであるなあ」
「でも、いいのか?君が主演したんだぞ。君の声が、君の演技が、一般に知れ渡ってしまうぞ。君は、世に出ることを嫌がっているではないか」
「だから、云っただろ。君とのiMessageと同じさ。ノーベル文学受賞者の友人を持ったものの宿命だ」
「ボクの作品が並ぶのは、ここ『鎌倉文学館』だけではないんだなあ」
「そりゃ、そうさ。何しろ、ノーベル文学受賞者だからな。じゃあ、行くか」

と、ビエール・トンミー氏は、友人を背に『鎌倉文学館』の特別展示室を出て行った。


(続く)