2020年6月30日火曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その50]






「主力商品の販売を停止すべきだと主張したんだ、ボクは」

『シーキャンドル』を出て、江ノ島という山から降りながら、エヴァンジェリスト氏は、ビーエル・トンミー氏に強い口調で説明していた。

「もうしばらく新しいバージョンを出していないんだ。買替時期が来たお客様から、『オタクのものを使い続けたいけど、新しいバージョンがないと、使い続けようがないじゃないですか』と云われた」




ビーエル・トンミー氏は、聞いているのか、聞いていないのか、いや、何かを思い出しているのか、いないのか、足許に目を遣り、黙々と歩を進めていた。

「お客様の云う通りだが、そんなこと云われなくても、新しいバージョンを出さないとダメだ、とボクはもう何年も前から社内で云っていたんだ。それなのに、新しいバージョンを出していないことを、そのボクがお客様から責められるんだ!」

エヴァンジェリスト氏は、自分が唾を飛ばしていることにも気付いていない。

「そんな状況だったら、この際、思い切って、主力商品の販売を一旦、停止するくらいの方が…」

と、友人の口から飛んだ唾が自分の靴に付いたのを見たビーエル・トンミー氏が、顔を上げた。

「いい加減にしろ!仕事のことは忘れろ、と云っているだろ。君は、本当に病んでいるなあ」

友人に叱られたエヴァンジェリスト氏は、口を閉じ、項垂れた。

「お昼を食べに行くぞ。いいな?」

と、ビエール・トンミー氏は、エヴァンジェリスト氏に意向を訊く、というよりも宣言をした。

「橋を渡ったところにある店に行くぞ。美味しいものを食べて、仕事のことは忘れるんだ」

江ノ島大橋を前にして、友人思いの言葉を吐いたビエール・トンミー氏は、自らの嘘を恥じた。

「(『みさを』…)」

決して、『仕事依存症』に病む友人のことを心配したのではなく、あの時と同じ店に行きたいだけであることを知っていたのだ。


(続く)




2020年6月29日月曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その49]






「…ああ…さっきまでここに夫婦がいただろう。ご主人が、殿様キングスの歌を歌っている男に似ていたんだ」

と、ビーエル・トンミー氏は、友人のエヴァンジェリスト氏に、口から出まかせの説明をした。嘘に嘘を重ねた。江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキである。二人連れの女性に写真を撮ることを求められたことから、『みさを』とのことを思い出し、『みさを』という名前を思わず口から出したのを、殿様キングスの歌だったと誤魔化したのだ。

「ああ、そうなの。さっきの年配の夫婦だね。ご主人、宮路オサムに似ていたっけ?」

芸能界通のエヴァンジェリスト氏は、ビーエル・トンミー氏とは違い、『殿様キングスの歌を歌っている男』が、『宮路オサム』であることを知っていた。

「うーん、君はねえ、ここに来てもまだ仕事のことを考えているだろう。だから、周りがよく見えていないんだ」

ビーエル・トンミー氏は、額に滲んだ汗を拭いながら、逆襲した。

「(ふう…なんとかかわした。エヴァの奴は、『みさを』のことを知らないし、知って欲しくはない)」

エヴァンジェリスト氏は、項垂れた。

「何度も云うが、君は、給料8万円の再雇用者だ。仕事なんて、中身のことを考えう必要はない。ただ粛々と処理していけばいいんだ。上手くいかなくったって、君がきにすることではない!」
「いや、だってえ…」
「考えるな、考えるな。いいから、次に行くぞ」

と云うと、ビエール・トンミー氏は、友人を促して展望デッキの出口に向った。しかし、

「君はいいなあ。呑気に演歌なんか歌っていられていて」

という友人の言葉に、『マモリートーシタ、オンナーノミサオ』という歌声が頭の中に聞こえてきた。

「(ううーっ……『みさを』をアイツは…)」

大学時代の友人、と云うよりもただの仲間の男の顔が浮かんできた。

「店に行ったらさあ、彼女が来たからびっくりしたぜ」

仲間の男は、そう云うと、思い出し舌なめずりをしたのだった。





(続く)


2020年6月28日日曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その48]






「違いますうっ!」

江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、『みさを』が、口から唾を飛ばした。ビエール・トンミー氏に写真を撮ってもらった二人連れの若い女性たちから『常盤貴子』と思われたのだ。

「常盤貴子なんて人知りません!人違いですっ!」

文字通り眦をつり上げた『みさを』は、ビエール・トンミー氏が見たことのない表情を見せた。

「行くわ、ビーちゃん!」

と、『みさを』は、ビエール・トンミー氏の手を取ると、展望デッキの出口に向った。

「あ、あ、あー……」

『みさを』の剣幕に立ち竦む二人連れの若い女性たちの方に顔を残しながら、ビエール・トンミー氏は、『みさを』に引きずられて行った。

「……」

『みさを』は何も云わない。

「『みさを』…」

ビエール・トンミー氏は、体を傾けたまま、『みさを』を呼んだ。

「おいおい、なんだ?『みさを』って?」

突然、エヴァンジェリスト氏の声がし、ビエール・トンミー氏は、『今』に戻った。

「んん?『みさを』、ああ、『アナターのタメーニー』だ」

歌ったことのない演歌が、口から出た。『なみだの操』という曲名も知らなかったのに。

「殿様キングスか。『マモリートーシタ、オンナーノミサオ』だな。ん?でも、なんで、ここで殿様キングスなんだ?」

エヴァンジェリスト氏は、素直な疑問を口にした。





(続く)



2020年6月27日土曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その47]






「ええ、似てるわあ!」

江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、ビエール・トンミー氏に写真を撮ってもらった二人連れの若い女性たちが、ビエール・トンミー氏といた『みさを』を見て、驚きの声を上げたのであった。

「でしょう?」

ビエール・トンミー氏は、そっぽを向いている『みさを』の顔をあらためて見た。

「常盤貴子に似てるって、云われません?」

と、二人連れの若い女性たち云われた『みさを』は、それには答えず、彼女たちに完全に背を向けた。

「トキワ?トキワタカコ?」

ビエール・トンミー氏は、『常盤貴子』を知らなかった。当時も今も、ビエール・トンミー氏は、芸能界に疎いのだ。しかし、そんな彼でも、その時、『常盤貴子』を知らないのは無理がなかったのだが…

「(常盤御前?...じゃないよなあ)」

と見当外れのことを思っていると、二人連れの若い女性たちの一人が、『みさを』に近付き、背を向ける『みさを』を回り込むようにして、その顔を覗き込み、驚きに口に手を当て、云った。

「ひょっとして、本当に常盤貴子?本物の常盤貴子さんですかあ!?」

もう一人の女性も『みさを』の顔を見て、叫んだ。

「きゃーっ、常盤貴子!サインしてもらえますかあ?」




女性たちは、ハンドバッグを開け、サインしてもらえそうな紙か何かを探し始めた。


(続く)



2020年6月26日金曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その46]






「ジェームズ・ボンドに似てますね。ウフっ」

ビエール・トンミー氏は、『みさを』と行った江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、頼まれて写真を撮ってやった二人連れの若い女性の一人に、そう云われ、赤面したのであった。

「(『ジェームズ・ボンド』って、架空の人物なんだけどなあ)」

とは思うものの、宇部に住んでいた小学生の頃、『琴芝のジェームズ・ボンド』と呼ばれていたので、驚きはしなかった。




「(つまり、ショーン・コネリーに似ているってことなんだろうけど)」

と、その女性の意を汲んでいると、

「仲雅美にも似てるう」

もう一人の若い女性も、ビエール・トンミー氏の顔を覗き込むようにして、当時の人気俳優の名前を口にした。

「そうかなあ」

と、頭を掻いていると、

「痛ーっ!」

ビエール・トンミー氏の臀部に痛みが走った。

「んもー!」

『みさを』に抓られていたのだ。

「あら、彼女、似てるわあ!ねえ?」

ビエール・トンミー氏の背後で拗ねる『みさを』を見た二人連れの若い女性の一人が、連れの女性に同意を求めた。


(続く)


2020年6月25日木曜日

【緊急直撃】疑惑の多目的トイレ



「はあ~、スッキリした」

と、スーパー『サトードーカヨー』の多目的トイレを出て、売り場に戻ろうと、通路の男性用トイレの先の自販機の前まで来た時であった。2020年6月24日のことである。

「中で何をしていたんですか、ビエール・トンミーさん?!」

左手にメモ帳、右手にボールペンを持った男が、いきなり質問と言うよりも突撃をしてきた。メモ帳の表紙には、『週刊ヘンタイ』という文字が見えた。




「え!なんだ、なんだ。君は誰だ?」
「ここの多目的トイレで何をしていたんですか?!」
「君には関係ないだろう!」
「ここ『サトードーカヨー』には、何をしに来たのですか?」
「買い物に決まっているだろうが」
「何を買いに来たんですか?」
「何を買おうと構わんだろう!」
「ほほー、云えないんですね。買い物しに来たのではなく、多目的トイレでイタす為に来たからでしょう」
「馬鹿なこと云うな」
「ベンツに女性を乗せてきたことは分っているんですよ」
「家内だ」
「へええ、わざわざ奥様とここの多目的トイレを使いに来たんですかあ?」
「『サトードーカヨー』では今、『グルメで回ろうニッポン!』をしているんだ。『梅ヶ枝餅』も『マルセイバターサンド』も『スイーツキングさくらんぼ』も売ってるんだ」
「六花亭の『マルセイバターサンド』と佐藤錦の『スイーツキングさくらんぼ』は知ってますが、なんですか『オメエガモチ』って?」
「はああ?君は、『梅ヶ枝餅』(ウメガエモチ)を知らんのか?九州は太宰府の銘菓だ。旨いんだぞお」
「ふふん…しかし、貴方のベンツに乗ってきた女性は、夜のお菓子『うなぎパイミニ』とミート祭の『国産牛サーロイン』も買ってたましたよ」
「家内の後をつけたのか!?」
「貴方に『精』をつけさようということでしょう」
「ワタシはもう歳だ。そんな欲はもうない」
「しかし、貴方のベンツに乗ってきた女性は、貴方より10歳は若い。貴方はなかなか隅に置けない人だ」
「ああ、家内は10歳下だ」
「10歳若い女性と一緒で我慢できなくなって、ここの多目的トイレに駆け込んだんですね?!『はあ~、スッキリした』とも云ったじゃないですか。女性は、まだ中で身繕いをしているんでしょう?」
「はああ?多目的トイレでナニをしたと思っているのか?君は、ヘンタイか?」
「素人グルメ王の貴方は、お笑い界のグルメ王に負けじと、多目的トイレを使うことにしたんでしょう!『多目的』だからアレを目的にしたっていいだろう、という理屈なんでしょうが」
「ワタシは、確かにヘンタイだが、多目的トイレでソンナことはしない。ウンコしただけだ」
「ふん!誰がそんなことを信じるものか!では、確認しますよ」

と云うと、『週刊ヘンタイ』の記者らしき男は、多目的トイレに向った。

「おい!止めろ!止めておくんだ!」

ビエール・トンミー氏は、叫んだ。しかし、『週刊ヘンタイ』の記者らしき男は、多目的トイレのドアを開けた。

「ウウォー!」

記者らしき男が、仰向けに倒れた。

「な、な、なーんなんだあ、この臭いは!?」
「テロだ。テロ、テロ、テロだああ!」

近くにあるトイレから出てきた客や、やはり近くにある文具や書籍、薬品売り場の店員、クリーニング店の店員たちが、叫び、逃げ出した。

「(ボ、ボ、ボクのせいじゃないぞ!ボクは、うんこをしただけだ。止めろ、とも云ったし)」

ビエール・トンミー氏も、他の客や店員に混じって、その場を逃げ出した。

「(ちょっと量は多かった。でも、臭いは、ボク的にはイカシテルんだがなあ)」


(おしまい)


2020年6月24日水曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その45]






「あのお、似てるって、云われません?」

ビエール・トンミー氏は、江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、頼まれて写真を撮ってやった二人連れの若い女性の一人から、顔を間近に寄せられた。

「(んぐっ!)」

『条件反射』であった。フレグランスなのか、シャンプーの香りなのか、はたまた若い女性の甘い口臭なのか、芳しい香りに襲われたのだ。

「ジョージ・クルーニーに似てますね。ウフっ」
「ジョージ・クルーニー?」

『「ジョージ・クルーニー』は、名前は聞いたことがあり、海外の俳優であろうとは思えたが、ビエール・トンミー氏は、それがどんな俳優であるのか、顔を思い浮かべることができなかった。

「もっと若ければ、山崎賢人にも似てるう」

もう一人の若い女性も、ビエール・トンミー氏の顔を覗き込むようにして云った。

「『ヤマザキ・ケント』?」

『ケント』というと、ビエール・トンミー氏は、ケント・デリカットかケント・ギルバートしか思い出せなかった。

「おい、『世界まるごとHOWマッチ』じゃないぞ」




『病人』として項垂れていたはずのエヴァンジェリスト氏が、友人の心を読んだかのような言葉を掛けた。しかし、

「(あの時もそうだった…)」

ビエール・トンミー氏は、独り回想の世界に入っていっていた。

「(あの時も、写真を撮って欲しいと頼まれた)」

『シーキャンドル』の展望デッキの手摺に、『みさを』と並んで腕を置き、鎌倉方面を眺めていると、

「あのお、写真、撮って頂けますか?」

と、背後から、二人連れの若い女性が、キャノンのカメラ『AE-1』を差し出してきていた。

「じゃあ、撮りますよお。はい、チーズ」

と、写真を撮ってやった後、

「あのお、似てるって、云われません?」

と、その時も、二人連れの若い女性の一人が、顔を間近に寄せながら、云ってきたのだった。


(続く)



2020年6月23日火曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その44]






「すみませーん」

女性が声を掛けてきた。江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキである。

「はい?」

ビエール・トンミー氏は、自分の前で両手を下げ、『病人』然として俯いている友人をそのままにし、振り向いた。

「あのお、写真、撮って頂けますか?」

二人連れの若い女性であった。iPhoneを差し出してきていた。

「ええ、いいですよ」

ビエール・トンミー氏は、広島皆実高校時代からの友人のエヴァンジェリスト氏には見せたことのない笑顔で、女性が差し出したiPhoneを受け取った。

「こちらでお願いしまーす!」

女性二人は、鎌倉方面を背にして、展望デッキの手摺の前に並んで立った。

「じゃあ、撮りますよお。はい、チーズ」

ビエール・トンミー氏は、iPhoneの画面フレームに二人の女性を入れた。

「ふふん、『チーズ』だってえ」
「おもしろーい」

と云いながら、女性二人は、ピース・サインを作り、写真に収まった。




「有難うございましたあ」

と、iPhoneを受け取りながら、

「あれ?」

と、ビエール・トンミー氏の顔を覗き込むようにした。


(続く)



2020年6月22日月曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その43]






「そんなことだから、君は『病人』になったんだ!」

ビエール・トンミー氏は、江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、友人のエヴァンジェリスト氏を強く叱責した。

「君は、まさに『仕事依存症』だ。産業医の見立て通りだ」

エヴァンジェリスト氏は、教師に叱られる生徒のように、友人の前に立ち、項垂れていたが、

「PDFファイルを開こうとしていたんだ…」

と呟き始めた。

「PDF?」
「ああ、朝、通勤で乗った中央線で、つり革につかまっていた」
「まさか、立ったまま、パソコンを使っていたのか?」
「いや、パソコンは持っていなかった」
「iPhoneか?」
「iPhoneは、ワイシャツの胸ポケットに入れていた」
「じゃ、PDFファイルはどこにあったんだ?」
「どこにもない」
「は?」
「あったとしたら、頭の中だ。目を閉じ、頭の中でPDFファイルを開こうとしていたんだ」
「はああ!?頭の中で仕事をしていたのか?」
「ああ、そうだと思う。困ったことに、それでは、仕事をしたつもりが、仕事ができていない」
「何を云っているんだ!おかしいぞ」
「ああ、自分でも何かおかしいと思った。でも、その時、電車が、四ツ谷に着いた」
「丸ノ内線に乗り換えるんだな?」
「電車が止ったので、PDFファイルを開くことは止めて、電車を降りた」
「おお、君は、『病人』も『病人』、『大病人』だ」
「ああ、ボクは、『病人』だあ!」

と云うと、俯いていた顔を上げぬまま、眼だけを上げ、友人を睨んだ。




「おお、いいぞ、いいぞ。それだ!それでこそ、『病人』だ!」

それまで友人を叱っていたビエール・トンミー氏が、満足げに、頬に笑みを浮かべた。


(続く)



2020年6月21日日曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その42]






多目的トイレ?何のことを云っているのか、分らん」

江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、エヴァンジェリスト氏から、身に覚えのあるようなないようなCAとの『出来事』に言及され、動揺していたビエール・トンミー氏であったが、『高層ビルの多目的トイレでイレたのか?』という友人の妙な推測に、なんとか平静さを取り戻した。

「君は、昔からそうだが、時々、いや、しょっちゅう訳の分からぬことを云うなあ。それにしても、君は、Macユーザーなのに、『いきなりPDF』のことを知っているのか?」
「勿論、ボクは使ったことはないが、同僚たちが、PDFの加工で苦しんでいたからな。ボクは、Macに標準装備のプレビューで加工できるから、『いきなりPDF』をインストールしていない同僚たちに頼まれてPDFのマージなんかもしてやっている」
「君は、IT関係も詳しい、妙なフランス文学修士だなあ」
「先月も、お客様に納品するシステムのデュアル・ディスプレイ対応で、ハードウエア・ベンダーと十分に調整されていなかったから、その担当でもなかったボクが、調整をする羽目になったんだ」




「そんなの技術者のする仕事ではないのか?君は、営業だろう?」
「ああ、技術担当か、ハードウエア・ベンダーとの窓口になっている営業のする仕事だ。彼らが、基本となるシステム構成をベンダーと調整して標準構成を作るものだ。でも、その標準構成がちゃんとできていなかったんだ。それじゃ、ボクが担当するお客様への納品に支障が出るし、他の誰もきちんとした調整をしないから、ボクがしないと仕方がないじゃないか!」
「まあ、ここで、怒るなよ」
「それだけじゃない。Ethernetのケーブルの本数だって間違っていたんだ。先月中に受注しないといけないのに、そのことが判ったのが、先月の24日の日曜日だ。その日の内に急いで正式見積を修正して、翌週、なんとかお客様に提示して、仮発注をしてもらったが、もうヘトヘトだ」

エヴァンジェリスト氏は、江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキに凭れ、両腕を垂らした。

「おい!君は、やっぱり『病人』だ。日曜日に仕事をするな!構成の間違いは、担当に直させればいいんだ」
「それでは、受注できないじゃないか!」
「そんなこと、どうでもいいだろう。いいか、君は、もう60歳を超えた再雇用者だ。給料は月8万円なんだろ?」
「いや、だって、放っておくと、お客様に迷惑がかかる」
「いい加減にしろ!」

ビエール・トンミー氏の剣幕に、展望デッキにいた70歳代と思しき夫婦が、揃って驚き、振り向いた。友人と思しき男を真剣に、しかし、どこか愛情を込めて叱りつける男が、夜な夜なPCでエロ画像を見ては、涎を垂らしているとは想像できなかったであろう。


(続く)



2020年6月20日土曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その41]






「ふん!そんなこと云うものか」

『出張で搭乗した飛行機の機内で、Mac好きのCAに話しかけられたら、WinodwsからMacに切替えるなら手伝う、と云って、お近付きになればいい』と云ってきたビエール・トンミー氏に、エヴァンジェリスト氏は、鼻で息を吐き、強く否定した。

「勿体ないことをするなあ」

江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキで、ビエール・トンミー氏は、右手の甲で涎を拭った。

「君は、機内でPCを使っている時に、『Windowsですか?』とCAに声を掛けられたことはないのか?」

友人の濡れた手の甲に眼を遣り、エヴァンジェリスト氏は、口の端を歪めながら、質問を発した。

「ええっ!?」

動揺したビエール・トンミー氏は、自らの体を展望デッキの手摺で支えた。

「『Windowsって、どうしてPDFファイルを加工できないんですか?!』なんて、絡まれはしなかったか?」
「うっ…どうして、それを…いや、そんなことはないさ」

眼が泳ぐのを悟られぬよう、ビエール・トンミー氏は、景色を見る振りをして、友人に背を向けた。




「ふふん、図星だな。『いきなりPDF』を使えばいい。ボクが貴女のPCにイレてあげましょう、とでも云って、CAが泊るホテルの部屋に入り込んだのだろう。君は、小学生の頃から『琴芝のジェームス・ボンド』という異名も持つ美貌の持ち主だ。CAとそういう関係になってもおかしくはない」
「ち、ち、違う!いや、あれは…」
「何が違うんだ?ホテルの部屋でなければ、高層ビルの多目的トイレでイレたのか?何しろ『多目的』なトイレだからな」





(続く)


2020年6月19日金曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その40]






「おおー!」

江ノ島の『シーキャンドル』の展望デッキに出たエヴァンジェリスト氏が、思わず叫んだ。

「空はこんな広かったのか!」

両手を手すりに置き、顎を上げ、顔に風を受けた。

「君は、いつも空を飛んでいたくせに」

ビーエル・トンミー氏は、友人が20年余り、連日のように飛行機に乗り、まさに北海道から沖縄まで国内出張をしてきたことを知っていた。

「ああ、羽田空港は自分の庭のようなものだった。飛行機に乗るのは、山手線に乗るくらいの感覚だった」




「飛行機の窓から空を見なかったのか?」
「最初の頃は窓側の席を取って、空や眼下の陸地を見ていた。だが、幾度も飛行機に乗っていると、それも飽きた」
「ボクは飛行機に乗ると、ルンルンで窓の外を見ているぞ」
「窓側の席は、到着後、出るのに時間がかかるし、狭いから、通路側の席を取るようになった。それも、中央列の右端の席を取るようにした。機内で、PowerBooやiBook、MacBookProなんかを開いて、仕事をしていたからだ。その席だと右手側に空間があって、キーボードを打ち易いんだ」
「さすが、君も『プロの旅人』だな」
「だが面倒なこともある。CAに話しかけられるんだ」
「むむっ。どういうことだ?」
「『iBookですか?』とか『Macですか?』とか云ってくるんだ」
「な、な、なんと!」
「『いいですねえ』と云って、横に立ったまま、こっちを凝視めて離れないんだ」
「おおー!」
「『Windows使ってるんですけど、iBookに切換えようかと思って……..でも、何か、勇気がなくって…….』とも云ってたな」
「『機会があれば、切替えて下さい』とでも云ってやればいい」
「ああ、そう云った」
「『機会があれば私がセットアップもお手伝いしますし、その後も分らないことがあればサポートしますよ』と云って、お近付きにならなかったのか?」




(続く)