2021年10月31日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その33]

 


「この旗の印は、何なの?」


そう、『少年』の眼は、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、妹の前に置かれたお子様ランチの山のように盛られたケチャップのご飯の上の旗を見ていたのだ。


「ああ、それか。それは、『福屋』のマークだよ」


『少年』の父親は、躊躇なく答えた。


「でも、なんか、輪っか、というか、土俵でもないけど、その中に書いてあるのは、『福』じゃなくて『三』みたいだけど?」


『少年』の指摘通り、お子様ランチの旗に描かれた『福屋』のマークには、『福』の文字はなく、漢数字の『三』を波打たせたようなものが描かれていた。


「ああ、周りにある模様は、元は、『七宝つなぎ』というんだ。『七宝紋』ともいうと思う。『福屋』のマークの周りのところをどんどんつないだ模様だ




「『しっぽう』って、『七宝焼き』の?」

「ああ、その『七宝』だ」

「『福屋』のマークって、『七宝焼き』でできてるの?」

「いや、そういうことではないんだ。『七宝』って、元々は、仏教の言葉で、金とか銀とか瑠璃なんていう七つの宝玉、まあ、宝物のことを云ってね、その宝物のように美しい、という意味で使われるようになったんだよ。だから、七宝つなぎ』と『七宝焼き』とは、直接は関係ないんだが、どちらもとても美しい、縁起がいい、ということなんだ。七宝つなぎ』も、無限に繫がっていく模様だから縁起がいい、とされているんだよ」

「ああ、だから、この模様は、七角形だから『七宝』ということじゃないいんだね。どちらかといえば、四角形だもんね」

「おお、そう、四角形な感じだろ。だから、『四方』(しほう)がなまって『七宝』(しっぽう)になったんじゃないかとも云われているみたいだぞ」


という、どこまでも『パパはなんでも知っている』の『パパ』のような『少年』の父親の説明を、周囲の別のテーブルの家族たちだけではなく、大食堂のウエイトレスも、注文された食事を給仕しながら、耳にし、厨房入口まで戻ると同僚たちに、得たばかりの知識を披露した。


「ウチの(福屋の)マークは、『シッポウ』なんじゃと」

「ええ、なんねえ、『シッポウ』いうて?犬の尻尾のことなん?」

「違うよねえ。『シッポウ焼き』の『シッポウ』らしいんよ」

「『シッポウ焼き』いうて、まんじゅうみたいなん?」

「よう知らんけど、なんか縁起がエエんじゃと」

「ほうなんねえ」

「あの『パパ』さん、なんでもよう知っとってみたいじゃ」

「そういうたら、『パパはなんでも知っている』の『パパ』に似とらん?」

「あ、『パパ』さんのカキフライ定食できたけえ、持っていくけえね」


と、ウエイトレスが、カキフライ定食をお盆に乗せ、『少年』とその家族のテーブルに向った。


(続く)




2021年10月30日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その32]

 


はい、お子様ランチです」


ウエイトレスが、先ず、『少年』の妹が注文したものを持って来た。広島の老舗デパート『福屋』の大食堂である。


「わあ、やっぱり旗が立ってる!」


『少年』が、小さく叫び声をあげた。お子様ランチには旗がつきもので、『少年』の妹が注文したお子様ランチにも、皿に山のように盛られたチキンライスというかケチャップライスの上に旗が立てられていた。


「どうしてなんだろう?」


妹のお子様ランチを見ながら、『少年』が、ポツリと言葉を吐いた。


「え?何が?」


父親が反応した。


「うん、どうしてお子様ランチには、旗が立っているんだろう?」




「あら、そうねえ。当り前のことだと思っていたけれど、どうしてかしら?」


母親も、頷きながら首を捻った。


「ああ、お子様ランチっていうのはな、一番最初に出したのは、東京の三越本店なんだそうだ」


と説明を始めた父親は、嬉しそうだった。世の人間がただ当り前と捉え、何の疑問も持たないことを、そのままとしない息子の姿勢をとても好ましいものと思ったのだ。


「三越って、『大和』(だいわ)や『福屋』みたいな百貨店なんでしょう?」


『少年』はまた、前日まで住んでいた宇部市にあったデパートの名前を出した。そして、三越についても、その日、父親から、松坂屋も高島屋と同様に、元は『呉服店』だったと説明を受けたところであった。


「そうだ。三越は、日本で最初の百貨店だ。その三越の本店の食堂で、昭和の初めの頃に、お子様ランチを出したのが最初らしい。名前は、お子様ランチではなかったようだけどな」

「じゃあ、むか~しからあるんだね、お子様ランチって」

「そのお子様ランチを考えた食堂の人が、登山が好きで、お子様ランチに、ケチャップのご飯を山のように盛って、その上に旗を立てるようにしたんだそうだ。富士山の登頂旗みたいにしたのさ」


と、『少年』の父親が、当時(1967年である)既にインターネットがあり検索したかのように、普通には知らないであろう、お子様ランチの由来を淀みなく説明したのを、『少年』とその家族の座るテーブルの周囲の他のテーブルの人たちは、頷きながら聞いていた。


「大学教授なんじゃろうか?」

「広大(広島大学)の先生かねえ?」

「いや、東京弁じゃけえ、東大の先生なんじゃないん?」

「じゃあ、息子さんも、賢そうじゃけど、修道(修道中学)でも附属(広島大学附属中学)でものうて、東京のどこか有名な中学なんかねえ?」

「いや、なんかジェームズ・ボンドの少年の頃みたいな子じゃけえ、イギリス留学しとってんじゃないんかねえ。で、春休みじゃけえ、日本に帰ってきとられるんかもしれんよ」


イギリスの学校には、所謂、『春休み』はないものの、3月下旬から4月の中頃までは『イースター休暇』があるので、イギリスへの留学生が春休みで日本に帰国している、ということはあり得ないことではなかったが、『少年』は、勿論、イギリスに留学してはおらず、更には、東京の中学生でもなかった。


しかし、『少年』も、そして、『少年』の家族も、自分たちが話している言葉が、広島弁ではなく、東京弁、或いは、少なくとも標準語に近い言葉であり、話す内容も周りの人々からは、かなり浮いた、レベルの高いものであることに気付いてはいなかった。『少年』とその家族にとっては、それが普通のことであったからである。


しかし、『少年』の眼は、……



(続く)




2021年10月29日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その31]

 


わたし、お子様ランチ!」


『少年』の妹は、はしゃいでいた。夕食であったが、『ランチ』を希望した。広島の老舗デパート『福屋』の大食堂であった。当時は(1967年である)、デパートに行くことは、今でいうなら(2021年である)、アミューズメントパークに行くようなものであった、と云っていいかもしれない。


「ボクは、ハンバーグ定食!」


『少年』も、自分が食べたいものを高らかに宣言した。


「お母さんは、何にする?」


欧米の紳士然とした『少年』の父親は、レディ・ファーストで妻の希望を訊いた。こうした妻への対応ぶりは、現在の『少年』、つまり、ビエール・トンミー氏(67歳の老人)にも引き継がれている。


「そうねえ、私は、オムライスがいいわね」


和美人ではあるが、やはりどこか欧米のマダムな雰囲気も持つ『少年』の母親には、オムライスは似合っていた。


「じゃあ、父さんは、やっぱりカキフライ定食だな」


という父親の表現に、『少年』が小首を傾げ、質問した。


「やっぱり?」

「ああ、牡蠣は、何しろ広島の名産だからな」

「ああ、牡蠣って、広島か宮城なんだよね。でも、どうして、牡蠣は広島の名産なの?」


『少年』は、小学校で、どの科目も抜群の成績を収めていたが、『社会』も得意で、地理的な知識も豊富に持ち合せていた。


「詳しくは知らんが、先ず、広島市(当時の広島市で、今で云えば、旧市内である)やその周辺には、川が多いんだ。だから、綺麗な水が広島湾に流れ込んできて、牡蠣のいい餌になるプランクトンがいっぱいできるんだ。それに、広島湾には、瀬戸内海だから、島とか岬とが多くて波も穏やかで、牡蠣を育てる筏を設置するのにも適しているんだと思う。まあ、そういった自然環境が、牡蠣の養殖に適しているんだろうな」


という、やはり『パパはなんでも知っている』の『パパ』のような『少年』の父親の説明を、周囲の別のテーブルの家族たちも聞いていた。


「へええ、牡蠣が広島の名産なんは、そういうことじゃったんじゃあ」

「あの家族、東京から来ちゃってんじゃろうか?綺麗な標準語喋っとってじゃ」

「あの娘さん、まだ小学生じゃろうが、綺麗じゃねえ。子どものモデルでもしとるんじゃろうか?」

「お父さんも素敵じゃあ。なんか、『オノオノガタ』の長谷川一夫に似とらん?」

「お母さんもなかなかでえ。原節子みたいじゃけえ」

「いや、なにいうても、あの子が一番じゃないん。ジェームズ・ボンドの少年時代みたいじゃ」




『ジェームズ・ボンドの少年時代』がどういうものであったかは、不明であるが、『少年』とその家族の座るテーブルの周囲の他のテーブルでは、『少年』とその家族について、そう囁き合っていたのだ。


そこに……



(続く)




2021年10月28日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その30]

 


そうだ、『ピカドン』だ。原爆にあってるんだ、『福屋』のビルは」


『少年』の父親は、これから行こうとする広島は『八丁堀』のデパート『福屋』も『被曝』したことを説明した。


「広島って、原爆で、建物もなーんにも無くなっちゃったんじゃないの?」


『少年』は、その時、広島に入って初めて、原爆のことを思い出した。広島は、原爆で『なーんにも無くなった』と聞いたが、今、自分がいる広島は、普通の街であった。立派な駅ビルもあったし、色々なビルや商店、住宅があり、バスも沢山走り、広島駅前は、人も宇部よりは遥かに多かったのだ。


「ああ、見渡すところ殆どの建物は、猛烈な爆風や火災で無くなったんだそうだが、コンクリート製のビルなんかは、残ったものもあったんだよ。『福屋』のビルがそうなんだ。原爆ドームだって、ああ、元は、『広島県産業奨励館』っていうんだけど、爆心地のすぐ近くだったが、完全にはなくならず、残ってはいるんだからね。でも、原爆の後は、本当に一面、焼け野原だったんだ。いや、ただの焼け野原じゃなくって、沢山、真っ黒になった….ああ、今は、そのことはいいだろう。『福屋』のビルは、なんとか残ったものの、広島は、そうだ、なーんにも無くなっちゃったんだ

「そうなんだあ。広島って、原爆で滅茶苦茶になったのに、今は凄い街になってるんだね。原爆が落とされたのも、もう昔のことだもんね」


と、『少年』が云ったのは、1967年(昭和でいうと42年)のことである。原爆が広島に投下されたのは、そこから22年前であった。22年は、『少年』、いや、少年には、遠い『昔』であったのだ。そのことに、『少年』は、それから50年以上経ち、60歳をかなり過ぎてから気付くことになった。


しかし、その時の『少年』にとって、1945年(昭和でいうと20年)が『遠い昔』なのは、実感であったし、到着したばかりの1967年の広島で、『遠い昔』の状態を想起させるものはまだ出会っていなかったのだ。


むしろ、


「パパあ、もう行こうよお。お腹すいちゃったよお」


という妹の声に、『少年』の腹も、思わず鳴り、原爆のことは頭から消えたのであった。





(続く)





2021年10月27日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その29]

 


『フクヤ』?」


引越してきたばかりの牛田の新しい我が家で、『少年』は、眉を顰めて、父親に質問した。


「ああ、『福屋』だ。今晩は、『福屋』の食堂に行こう」


父親は、笑顔で『少年』に答えた。


「服屋さんに食堂があるの?」


「はは!その服屋さんじゃないよ。幸福の『福』に屋根の『屋』と書いて『福屋』だ。百貨店だよ。まあ、三越も松坂屋も高島屋も、元は『呉服店』だけどな」

「え、百貨店って、『大和』(だいわ)みたいなの?」


『少年』は、それまで住んでいた宇部市にあるデパートの名前を出した。


「ああ、そうだよ」


と、父親は、『少年』の認識を肯定したが、実は、宇部新川駅前にあった『大和』(駅前店)は、実はスーパーマーケットであったとも云われる。しかし、市民の認識は、『デパート』であったらしい。食堂もあったし、屋上には、デパートのように遊園地はあったのだから。


「屋上に遊園地はあるの?」


と訊きながらも、『少年』は、やや頬を赤らめた。自分はもう中学生になるんだから、デパートの屋上の遊園地で遊ぶなんて、と思ったからだ。でも、まだ遊園地の乗り物には興味はあったのだ。




「ああ、多分、あると思うよ。でもな、『福屋』は、『大和』よりずっと歴史があるんだ。何しろ、昭和4年にできたんだから」

「ええ!じゃあ、お父さんくらいの歳だね」

「ああ、そうだな。被曝だってしてるんだから」

「ん?『ヒバク』?」



(続く)



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例えば、『老人たちの戯言』シリーズをベースに、漫才としたい等、お申し出頂ければ、検討申し上げます。




[参照]

老人たちの戯言】天草四郎か、ピカチュウか、フェニックスか?[美輪明宏氏の正体]

【老人たちの戯言】美輪明宏か、志垣太郎か、『緑のおじさん』か?[ビエール・トンミー氏の秘密]

【老人たちの戯言】女子新体操ファンになるでえ!




ビエール・トンミー氏とエヴァンジェリスト氏とで漫才コンビを組んで欲しい(コンビ名は、例えば、『ビエヴァン』)、というご要望も歓迎です(受諾するかどうかは、ビエール・トンミー氏とエヴァンジェリスト氏の意向次第ですが)。





ご連絡をお待ちしています!



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2021年10月26日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その28]

 


八丁堀に行くぞ」


まだ引越し荷物が片付かない牛田の新しい我が家で、『少年』の父親が、家族に宣言した。


「(え?お堀?)」


『少年』は、お城を巡るお堀を思い描いた。新しい我が家の部屋部屋を一通り家族に見せて回った後であった。


「(やっぱり、天守閣だ!)」


二階に上がり、窓から外を見ると、家の前は空き地が広がり、まだ登ったことはないが、天守閣の上からの景色は、かくありなん、と思えた、その後だったのだ。


「(下々の姿は見えなかったけど)」


『少年』にとって、初めての二階建ての我が家は、内も外も、それをお城、天守閣のように捉えた自分の期待に応える立派な造りであり、そこに住む、しかも、そこの景色のいい二階に(つまり、最上階に)住む自分は、お殿様になったような気がしていたところに、父親が、お城気分をさらに掻き立てる『堀』という言葉を口にしたのだ。




「八丁堀って、お城のお堀?」


と凝視めてきた息子に、父親はまた、聡明な回答を返した。


「ああ、元々は、広島城のお堀のあったところだ。今は、広島の繁華街さ。一番賑やかな街だ。外濠の長さが、『八丁』あったから『八丁堀』という地名になったらしい

「『八丁』?」

「一丁が、およそ109メートルだから、『八丁』は、870から880メートルくらいになるな。確か、『広島城八丁堀外濠跡』っていう石碑があったと思う」

「へええ~!広島って、凄いんだね。やっぱり歴史がある街なんだね!』

「今日の晩御飯は、『八丁堀』の『福屋』にしよう」

「え?」


『少年』は、口を開けたままにした。



(続く)




2021年10月25日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その27]

 


落ち着いて、ビエ君」


これから住む牛田という土地が、元々はお公家さんの領地であり、更には、『豊臣秀吉』や『徳川家康』とも関係がある『浅野家』とも所縁のある土地であることを父親か教わり、興奮の極みに達していた『少年』に、母親が声を掛けた。


「着いたのよ」


母親は、眼前の大きな家を指し示した。


「ええー!」


『少年』は、感嘆を声にした。


「(天守閣!?)」


眼前に天守閣が聳えていると見えたのだ。


「どうだ?これが、新しいウチだよ」


と、父親が自慢げに告げたのは、そう、天守閣ではなかったが、二階建ての大きな家であった。それまで、『豊臣秀吉』や『徳川家康』、『浅野家』のことを夢想していた『少年』は、その二階建ての大きな家が、天守閣に見えたのだ。


「二階があるんだね!」


我に戻った『少年』は、天守閣ではないものの、二階建ての家というものに興奮せざるを得なかった。『少年』にとっては、初の二階建ての我が家であったのだ。


「ああ、ビエールの部屋は、二階だぞ」


父親は、二階の窓を指差した。


「え!ボクの部屋が、二階!?まるで、お殿様みたいだ」


『少年』は、殿様が天守閣に居住していた訳ではないことは、知っていなくはなかったが、二階に、つまり、その時の妄想では天守閣にいる自分は、殿様と思えたのだ。


「そうだぞ、ビエールは、何しろ、トンミー家の跡取り、若様だからな」


父親は、息子が眼前の家を天守閣のように捉えていたとは知らなかったが、新しい我が家を気に入ったようである息子に話を合せた。


「(天守閣から、下々の生活ぶりを見るんだ)」


『少年』の妄想は、殿様気分を超え、『高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり』と述べた仁徳天皇になったかの如くであった。




「ビエ君、さあ、ウチに入るわよ」


母親の声に、『少年』は、現実に戻った。



(続く)




2021年10月24日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その26]

 


広島の『浅野家』って、『オノオノガタ』と関係あるの?」


芸能界には興味がない『少年』が、珍しく、『長谷川一夫』の物真似で『オノオノガタ』と云った。『長谷川一夫』は、云うまでもなく、名優にして世紀の2枚目俳優である。


「ああ、赤穂の『浅野家』は、広島の『浅野家』の分家だ」


と、『少年』の父親は、『浅野家』に関する息子の質問に答えた。今時(今は、2021年である)の人は、『長谷川一夫』も知らないかもしれないであろうが、『長谷川一夫』は、1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』(要は、『忠臣蔵』のドラマだ)で、浅野内匠頭が藩主であった播州赤穂藩の筆頭家老にして、ドラマの主人公である『大石内蔵助』を演じ、当時、小学4年生であった『少年』も熱心にその大河ドラマを見たのだ。




「じゃあ、広島の『浅野家』の方が、『オノオノガタ』より『上』なんだね!」


と、『少年』は、再び、『オノオノガタ』と云って、眼を輝かせた。『長谷川一夫』が演ずる『大石内蔵助』が、主人である浅野内匠頭を敵討ちをする際に発した『おのおのがた、討ち入りでござる』というセリフが流行し、『少年』はその物真似をしたのだ。


「ああ、広島の『浅野家』は、『国持大名』だったんだ。江戸時代、日本国内には、『国』と『藩』とがあってな、どちらの支配者も『大名』ではあったんだが、『国』は70近くしかなく、『藩』は300くらいあったんだ。どういうことかというと、一つの『国』の中に複数の『藩』があったといことで、『国』の方が、『藩』より大きかったのさ。だから、『藩』の支配者である『大名』と『国』の支配者である『大名』とを比べると、『国』の支配者である『大名』の方がずっと大きかった、つまり、偉かったのさ。その『国』の支配者である『大名』のことを『国持大名』というんだ。広島の『浅野家』は、その『国持大名』だったんだ。安芸国の全部と備後国の一部を支配してたんだ」


『少年』の父親は、史学科の出身ではなかったが、『大名』に関わる歴史的背景を滔々と説明した。


「じゃあ、広島の『浅野家』って、本当に凄かったんだね!」

「ああそうだ。広島の『浅野家』の初代は、『浅野長晟(あさの ながあきら)』という人なんだが、そのお父さんである『浅野長政』は、『豊臣秀吉』の親戚だったんだ。『浅野長政』の奥さんの妹さんが、『豊臣秀吉』の奥さんだったんだよ」

「ええ、『豊臣秀吉』と関係があったんだあ!」

「『浅野長政』は、『徳川家康』とも親しかったんだが、息子の浅野長晟』の奥さんは、『徳川家康』の娘なんだぞ」

「ええ、ええ、ええー!『豊臣秀吉』だけじゃなくって、『徳川家康』とも深い関係があったんだね!凄いね、凄いね!牛田って、元々はお公家さんの領地で、その後は、『豊臣秀吉』や『徳川家康』とも関係がある『浅野家』とも所縁のある土地なんだね!ボクたち、これから、そんな凄い所に住むんだね!」


牛田の住宅街を歩きながら、『少年』の興奮は、極みに達していた。



(続く)





2021年10月23日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その25]

 


あ、森?!」


『少年』は、眼の前に大きな樹々が広がっているのを見、思わず、感嘆の声を漏らした。両親と妹と共に、牛田の新しい『我が家』に向っていたところであった。


「ああ、なかなかだろう。あれは、『浅野山』だ」


という父親の説明に、『少年』は、思わず、


「え?山?あれ、山なの?」


と、叫ぶような声を出してしまった。


「ビエールが、森と思うのも分からんではない。あそこは、『浅野山緑地』ともいうからな」


『少年』の父親は、やはり、『なんでも知っているパパ』であった。


「浅野って、ひょっとして、広島藩の?」

「ああ、そうだ。広島藩の『浅野家』のことだ」




「そうなのお!牛田って、お公家さんの土地だけではなくって、広島の殿様の土地でもあったの?」

「『浅野山緑地』は、殆どが『浅野家』の墓地なんだそうだ」

「ええー!」

「それにな、さっき、ここまで来る途中に、お寺があっただろ?日通寺というんだが、『浅野家』の菩提寺なんだ。つまり、『浅野家』のお寺ということだな」

「牛田って、凄いところなんだね。でも、広島の『浅野家』って….」



(続く)





2021年10月22日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その24]

 


「皇室の人かあ、思うた」


牛田の自宅前で、少女は、今、通り過ぎて行った家族を見て、そう呟いた。宇部市琴芝から、その日、広島市引越してきたあの『少年』とその家族のことである。


「まさか、皇室の人が牛田なんかに来んよねえ」


母親が、娘の発言を否定した。否定したが、今、自分が見たものは、あながち幻ではなかったのではないかとも思えた。母親は、あの『少年』とその家族を、平安時代の貴族のように見てしまったのだ。皇室の人たちは、宮中儀式の時に、平安時代の衣装のようなものを着るからだ。


「(でも、タイムマシンなんかあるはずないけえ)」


大人である母親は、漫画家の手塚治虫でも描きそうなタイムマシンなるものを信じてはいなかった。もう何日か後であれば、『タイムマシンなんかあるはずない』とは思わず『タイムトンネルなんかあるはずない』と思ったであろう。その年(1967年)の4月8日に、アメリカのテレビ映画『タイムトンネル』が始ったのである。いやいや、『タイムトンネル』を見るようになり、そして、公卿大人(くぎょう・うし)のことを知っていたら、お公家さんがタイムトンネルから出てきたと思ったかもしれない。


「ほうよねえ、ここは、牛田なんじゃけえ、皇室の人なんか、来んよねえ」


娘も、母親に同調した。ここ牛田に引越してきた時、娘は、父親に訊いたのだ。


「お父ちゃん、ここ、なんで牛田いうん?」

「ああ、そうだなあ。今は、高級住宅街じゃが、昔は、田んぼがあって、牛が耕しとったんじゃないんかのお」




と、その時、父親は、さもありなんという回答をした。『牛田』の地名は公卿大人(くぎょう・うし)の領地だったことに由来するかもしれないとは知るはずもない、ただただ普通の父親であったが、娘は、父親の説明に納得した。



(参照:【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その15]



しかし、今、娘の鼻の周りには、牛糞の臭いではなく、お香のような匂いが漂っているように感じられていた。


「でも、なんかエエ匂いがするねえ、あの人たち。皇室の人じゃないんじゃろうけど、皇室の人みたいに品があるし、エエねえ」


父親同様、ただただ普通の娘である少女は、皇室の人たちは品がいい、有難い存在だと素直に思っていた(多分、今も、そう思っている、他の多くの日本人同様に)。


「(あの子、『皇太子殿下』みたいじゃ)」


少女の眼はまだ、スタイルのいい『少年』のツンと上ったお尻が軽く左右に揺れながら遠くなっていくのを見ていた。


「(あのご主人、貴族じゃないかもしれんけど、高貴な顔しとってじゃったあ。美男子じゃし、また、会うたらどうしょう!?)」


と、母親も、何かを隠すかのように、手に持っていた買い物かごを体の前に持っていった。



(続く)