2020年8月26日水曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その96]






「はああ!?」

ビエール・トンミー氏が、鬼の形相に、いや、鬼となった。鎌倉文学館の常設展示室で、友人のエヴァンジェリスト氏が、『プロの旅人』のことを面白い、と云ったことが、彼の怒りに火をつけたのだ。

「あんなお下劣、品性最低なBlogなんか、全く面白くないっ!アイコラだって、粗い作りだし、グロくて、面白くないを通り越して気持ち悪くて堪らん!」

ビエール・トンミー氏が飛ばした唾が、エヴァンジェリスト氏の頬についた。

「も、も、申し訳ない。あ、いや…ボクが書いた訳でも、描いた訳でもないんだが…」

鬼と化した友人を前に萎縮するエヴァンジェリスト氏は、友人の唾が頬についたことに気付かない。

「言い訳は男らしくないぞ」
「いや、そうではなくって…本当に…。でも、そんな面白くないBlogで、何故、ノーベル文学賞受賞となるんだろう?」
「面白くないのは、Blogだけではない。『E氏の独り芝居』という一般には非公開のメルマガも、全く面白くない!そこんとこは、ノーベル文学賞選考委員たちもよーく分っているんだ」
「え!?『E氏の独り芝居』も選考委員に見られているのか?」
「『E氏の独り芝居』は、初期はまだまともな文章もあったが、このところは完全にアイコラ集だ。それも、一般には非公開なのをいいことに、他人の顔を勝手に使ってやりたい放題のアイコラばかりだ。しかも、『プロの旅人』のアイコラ以上に面白くない」




「では、何故、そんな面白くもないBlogやメルマガで、ボクは、ノーベル文学賞受賞となるんだ?...あ、『プロの旅人』は、ボクの書くBlogではないが…」
「おお、そこだ。問題の本質は、そこだ。ノーベル文学賞選考委員たちは、考えているのだ。『ボブ・ディラン』以前の受賞者は、まあ、正直なところ、どんな受賞者がいたのかよく知らんが、皆、所謂、『文士』であっただろう。そう、君がなることを拒否した『文士』だ。しかし、『文学』が『文士』によるもののままであってはいかん、と選考委員たちは、考えているのだと思う。そこで、先ずは、『ボブ・ディラン』に授賞なんだろう。しかし、もっと既存の『文学』を破壊し、『文学』の改革を望んでいるのだと、ボクは思う」

ビエール・トンミー氏は、いつしか自分の話している戯言が、真っ当なものと思えて来始めていた。


(続く)




2020年8月25日火曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その95]






「え?世界に?」

エヴァンジェリスト氏は、ますます飛躍していくように思える友人ビエール・トンミー氏の発言に付いていけなくなってきた。友人は、エヴァンジェリスト氏の書いた修士論文や、エヴァンジェリスト氏のものではないが(ないはずだが)、Blog『プロの旅人』が、今二人がいる鎌倉文学館に展示されると云うだけではない。『世界』と云う言葉を持ち出してきたのだ。

「そうだ。君はなあ、ノーベル文学賞を受賞するんだ」

『ノーベル文学賞』という言葉に、展示室内にいた他の来館者の一人が振り向いた。

「おい、おい、君は今日、時々、心ここに在らずな時があるが、頭が異次元にでも飛んでるのではないか?」
「おお、得意のリサ・ランドールの『5次元空間』だな」
「『5次元空間』では、Blog作家がノーベル文学賞の受賞対象になることはあるのか?」
「いや、『5次元空間』でなくともあり得るのだ。君は、先週のニュースを知らんのか?」
「『PPAP』、つまり、『ペンパイナッポーアッポーペン』が、YouTubeの週間再生回数ランキングで世界1位になった、ってことか?」




「ああ、あれもあり得ないと思われることが起きる例かも知れんが、『PPAP』のことではない。『ボブ・ディラン』だ」
「ああ…」
「そうだ、判ったようだな。歌手の『ボブ・ディラン』が、まさかのノーベル文学賞受賞となったんだ。であれば、Blog作家なら尚更、そう、君だってノーベル文学賞受賞となって不思議ではあるまい」
「うーむ、『プロの旅人』は、ボクのBlogではないが、超お下劣Blogだぞ」
「ああ、すぐにエロな話になったり、ウンコの話に持って行ったり、『怪人』とか『桃怪人』とか『エロ仙人』なんぞという妙ちくりんなキャラクターを登場させたかと思うと、石原プロに入るんじゃないか、なんて妄想甚だしいことを云いだす始末だ」
「まあ、その通りだが…でも、『プロの旅人』は面白いとは思うけどなあ…」

エヴァンジェリスト氏は、体の前で、右手の人差し指の先と左手の人差し指の先をトントンとつけながら、口を尖らした。


(続く)



2020年8月24日月曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その94]






「え?Blog?」

友人のビエール・トンミー氏の思いがけない言葉に、エヴァンジェリスト氏は、思わず訊き返した。そこは、鎌倉文学館の常設展示室であった。ビエール・トンミー氏は、そこにエヴァンジェリスト氏の修士論文や、更には、彼のblogも展示されてしかるべきだ、と云ってきたのだ。

「ああ、『プロの旅人』だ」

ビエール・トンミー氏は、冷静にBlog名を告げた。

「いや、あれは、『プロの旅人』氏のBlogだ」
「ああ、ボクもそう思ってきたが、『プロの旅人』氏って誰だ?」
「うう…ああ…ボクたちの共通の友人だ。皆実高校の1年7ホームで一緒だったじゃないか」
「君がそう云うから、1年7ホームに『プロの旅人』氏もいたように思っていたが、よくよく考えると、そんな奴いたと云う記憶がない」
「『ミスター・メモリー』と云われる程の記憶力を持つ君らしくもない」
「高校の頃だけじゃないぞ。今だって、共通の友人というのに、全然、姿を見せないではないか」
「え?そうかあ?....」

エヴァンジェリスト氏は、何かを誤魔化すかのように、興味もない展示された誰か文豪の生原稿を覗き込んだ。

「君なんだろ?」
「へっ!?」
「『プロの旅人』氏とは、君のことなんだろ?」



「あんなクダラナイBlogは、ボクのものではない。お下劣なアイコラ満載だし」
「クダラナイのはその通りだが、そのお下劣Blogが、ここに展示されるのだ」
「嫌だ!あ!....『プロの旅人』は、ボクのBlogではないが、そもそもBlogが文学館に展示される訳がないだろう」
「いやいや、それがそうではないんだ。君は、世界に名を馳せるのだ」


(続く)


2020年8月23日日曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その93]






「いや、あんなものは、論文ではない!感想文だ」

鎌倉文学館の常設展示室で、エヴァンジェリスト氏が、吐き棄てるように云った。

「そうかなあ。まあ、論文か感想文かは知らないが、ボクは心を動かされたぞ。君が書いたものだと思うと、ちょっと悔しかったがな」

ビエール・トンミー氏は、エヴァンジェリスト氏が修士論文で取り上げたフランソワ・モーリアック(François Mauriac)を読んだことはなかったが、その作家がエヴァンジェリスト氏の心の中に生じさせたものを、その修士論文で感じたのは本当だった。普段のオチャラケた男の心底に在るものに触れたと思った。




しかし…

「ボクも『文学者』にならないといけないと思った時期はあった。だから、『四田文学学生会』にも入ったが、夏の合宿で自分は『文学者』にはなれない、と思った。いや、なりたいと思わなくなったんだ」

と、エヴァンジェリスト氏は、40年近く経ったにも拘らず、『文学者』を断念した当時のように顔を曇らせた。




「君が自分のことを『文学者』と思うと思うまいと、君の修士論文は、ここ『鎌倉文学館』に展示されてしかるべきだ」

ビエール・トンミー氏の思いがけない言葉に、エヴァンジェリスト氏は、友人を凝視した。

「Blogだって展示されるのだ、ここにな」

それは、もっと思いもしない言葉だった。


(続く)



2020年8月22日土曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その92]






「靴は脱ぐんだぞ」

鎌倉文学館の玄関で、ビエール・トンミー氏が、エヴァンジェリスト氏に注意した。そこは、土足厳禁であった。

「え?服を脱ぐの?いや~ん!」

と云うと、エヴァンジェリスト氏は、手で体の前を隠すようにして、腰をクネらせた。




「あは~ん?服を脱ぎたかったら脱げ」

ビエール・トンミー氏は、独りオチャラケる友人を無視し、靴を脱ぐと、下駄箱に入れ、赤いじゅうたんが敷かれた階段を上って行った。

「おお、なんだか文学の香りがするなあ」

ホールを通り、常設展示室に入ると、声を潜め、ビエール・トンミー氏が呟いた。

「おい、それはどんな香りなんだ?」

他にも幾人か来館者がおり、さすがのエヴァンジェリスト氏も小声で訊いた。

「君も文学者だろうに…」

あらためて呆れたといった様子で、ビエール・トンミー氏は、首を左右に振った。

「ああ、やはりボクには文学は遠い存在だ。ボクは、文学の道を棄てたんだ…」

展示された鎌倉ゆかりの文士たちの生原稿や手紙等を興味なさげに見ながら、ため息をつくようにエヴァンジェリスト氏が云う。

「いや、君の修士論文は、なかなかのものだったぞ」

ビエール・トンミー氏が、真顔で友人を褒める。読んだのは、厳密には修士論文ではなく、その草稿であったが(友人が修士論文を書いた当時は、まだコピー機は普及しておらず、論文自体は、大学の図書館に所蔵されているものしかないのだ)、普段はお下劣としか思えない友人の心の深層を見たように思ったのだ。


(続く)



2020年8月21日金曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その91]






「おっ!どうした!?近い、近い、近いぞ!」

と、エヴァンジェリスト氏が、身を引きながら、両手をクロスさせ、顔を防御した。鎌倉文学館の玄関横に掲げれられていた表札のようなに書かれた文字を判読できず、ビエール・トンミー氏に聞こうと、振り向いたところ、友人の顔が間近に迫っていたのだ。

「まさか、またボクにキスでもしようとしたんじゃあるまいな」




「バ、バ、馬鹿云うな!か、か、確認しようとしたんだ、その文字を」
「まあ、そりゃそうだな。皆実高校の美少年の双璧と呼ばれたボクたちだが、いくら相手が美しかろうと、ボクは勿論、君もソッチの傾向はなかったものな」
「ああ、これはなあ。『長楽山荘』だ」

表札のようなものに書かれた文字が、筆書体であった為、『長』という字が、毛』のように見えなくはなかったのだ。

「おお、さすが、博識大先生だなあ」
「やめろ、そのイヤラシイ云い方は」
「君は、イヤラシイじゃないか」
「ああ、ボクはイヤラシイ男だが、そのイヤラシイを云ってるんじゃあない」
「しかし、何故、『長楽山荘』なんだ?ここは、鎌倉文学館ではなかったのか?まさか、君は、ボクを騙して山荘に連れ込もうとしているのか?」
「ああ、ここにはなあ、昔、そう、鎌倉時代だ、『長楽寺』というお寺があったんだ。前田家の別邸は、元々は、『聴涛山荘(ちょうとうさんそう)』という名前だったんだが、関東大震災で倒壊して再建した時に、『長楽山荘』という名前にしたんだ」

『みさを』と鎌倉文学館に来るにあたり、事前に調べておいた知識をまだ覚えていた。

「いやあ、君の博識には、本当に惚れ惚れするなあ。君の解説を聞いていると、ついつい、『この人になら唇を奪われてもいい』と思ってしまいそうだ」
「ああ、もういい加減にしろ。いいから入るぞ」

と云うと、ビエール・トンミー氏は、鎌倉文学館の玄関に入って行った。


(続く)




2020年8月20日木曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その90]






「おー、ここか」

というエヴァンジェリスト氏の言葉で、ビエール・トンミー氏は、自分が鎌倉文学館の玄関まで来ていたことに気付いた。『招鶴洞』に入る辺りから、あの時の『みさを』の言葉に心も視線も囚えられ、自分がどこを歩き、どこにいるのか……忘我の状態となっていたのだ。

「アタシの方こそ、ごめんなさい」

招鶴洞』で、彼女の唇を奪おうとしたのは、自分の方なのに、それを拒否した『みさを』が謝ってきたのだ。

「こんな車寄せがあると、如何にも昔の建物って感じだなあ」

と、エヴァンジェリスト氏は、車寄せの天井や周囲を見回していたが、玄関の方に眼を遣ると、

「おや、何だこれは?」

と首を捻りながら、玄関横に掲げられた表札のようなものに顔を近付けた。

「何と書いてあるんだ?」

と、エヴァンジェリスト氏が呟いた。それは独り言のようでもあり、ビエール・トンミー氏に質問しているようでもあった。しかし、ビエール・トンミー氏の方は、

「(ブルルっ!)」

と頭を振った。表札のようなものに顔を近付けた友人の後頭部が、あろうことか、『みさを』の後頭部のように見えてしまったのだ。あの時、『みさを』も、エヴァンジェリスト氏と同様に、表札のようなものに顔を近付け、

「何と書いてあるのかしら?」

と云ったのだ。そして、拒否されたばかりであったのも拘らず、背後から抱きしめたい欲望に駆られたのだ。

「(んぐっ!)」

ビエール・トンミー氏は、今、眼の前にある後頭部が、友人のものであるのか、『みさを』のものであるのか、判別できなくなっていた。

「んん?『毛楽山荘』?」

と問う言葉も、エヴァンジェリスト氏のものであるのか、『みさを』のものであるのか、判別できなくなっていた。

「(ええい、構うものか!)」

と後頭部に体を寄せて行った時、

「君なら知ってるだろう、これ、何て書いてあるのか?」

と、振り向いた後頭部は、エヴァンジェリスト氏であった。





(続く)