2020年9月2日水曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その103]






「おお、なかなかいいなあ」

と云うエヴァンジェリスト氏は、鎌倉文学館の特別展示室を出たビエール・トンミー氏と、鎌倉文学館の庭園にいた。

「うーむ、これは、江戸川乱歩の世界だなあ」

庭園から鎌倉文学館の建物を見上げたエヴァンジェリスト氏が、しみじみとした云い方をしたのであった。

「はあ?」

ビエール・トンミー氏は、友人の言葉の意味を理解しかねた。

「江戸川乱歩のドラマに出てくるような洋館だ」




「君は、江戸川乱歩が好きだったのか?」
「天知茂だ」
「え?天知茂って、確か…なんとかのライセンスじゃなかったか?」
「おお、さすが『博識大先生』。そうだ、『非情のライセンス』だ」
「君が、学生時代、上池袋の下宿で毎日、再放送を見ていた天知茂・主演のドラマだろ」




「そうだ。ボクは、いずれ『異常のライセンス』という小説を書き、そのドラマ化にあたっては、君に『天知茂樹』という芸名で主演をしてもらいたいと思っている」




「いや、ボクは余生を静かに過ごしたい」
「それだけの美貌を埋もらせたままとするのは、世の損失だ」
「それも分らなくはないんだが…」
「型破りな『変態』刑事の活躍を描く作品なんだぞ。『変態』ぶりを思う存分発揮できるんだ。違法捜査もなんのその、『変態』のやりたい放題なんだぞ」
「うっ!なかなか魅力的だが…」
「天知茂の『非情のライセンス』を超えるドラマは、君こと『天知茂樹』の『異常のライセンス』しかない」
「おお!」

と、その気になりかけたビエール・トンミー氏であったが、冷静さを取り戻した。庭園にいた他の来館者が、『変態』という言葉が耳に入ったのか、胡散臭いものを見る視線を送ってきたのに気付いたのだ。

「でも、『非情のライセンス』って、江戸川乱歩が原作だったのか?」


(続く)



2020年9月1日火曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その102]






「君の最初にして今のところ唯一の戯曲『されど血が』だって、『田村書店』で見出されることになるだろう」

と云うビエール・トンミー氏の言葉に、エヴァンジェリスト氏は、自身の戯曲が『田村書店』の本棚に並んでいる光景を想像したが、

「いや、『されど血が』は、雑誌『東大』に掲載したものを放送劇用に手直ししたが、あれも手書きだぞ。これも一部しかなく、出演者にはその一部を一緒に見ながら演じてもらったんだ」

と、やはり、まさかの思いの方が強くなった。

「そんなことくらい知っているさ。だって、主演はボクじゃないか。雑誌みたいなものである『何会』や『東大』だって手書きなんだから、『されど血が』も『田村書店』の本棚に並ぶのさ、だがな、それだけじゃあないんだ」
「は?他に何かあったかなあ…」
「テープだ」
「テープ?君が持っているエロ・テープか?」
「いや、時代はもうDVDはおろか、ブルーレイ・ディスクの時代でもなくネットの時代だ、そんなテープはもう棄てた。それにボクの持っていたエロ・テープが、どうして『田村書店』で売られるんだ」




「ボクは、エロ・テープは持っていないぞ」
「『されど血が』のテープだ」
「え!?」
「『されど血が』は、テープに録音し、それを広島皆実高校1年7ホームのホームルームの時間に流しただろ。その録音したテープだ」
「ま、ま、まさか!」
「『されど血が』は、君が作・演出し、音楽まで担当した作品だ。ノーベル文学賞受賞者の異色の作品として貴重なものなんだ」




「でも、そのテープが、どうしてあるんだ?ボクは持っていなかったと思うぞ」
「『石橋基二』先生だ。担任の『石橋基二』先生が、ずっと保管していらしたんだ」
「え!?『石橋』先生が!」
「先生というものは、有難いものであるなあ」
「でも、いいのか?君が主演したんだぞ。君の声が、君の演技が、一般に知れ渡ってしまうぞ。君は、世に出ることを嫌がっているではないか」
「だから、云っただろ。君とのiMessageと同じさ。ノーベル文学受賞者の友人を持ったものの宿命だ」
「ボクの作品が並ぶのは、ここ『鎌倉文学館』だけではないんだなあ」
「そりゃ、そうさ。何しろ、ノーベル文学受賞者だからな。じゃあ、行くか」

と、ビエール・トンミー氏は、友人を背に『鎌倉文学館』の特別展示室を出て行った。


(続く)


2020年8月31日月曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その101]






「『博識大先生』の君が知らんとは」

鎌倉文学館の特別展示室で、エヴァンジェリスト氏は、友人のビエール・トンミー氏の言葉に頭を抱えた両手の隙間からのぞかせた顔を左右に振った。

「モーリアックはなあ、フランソワ・モーリアック(François MAURIAC)の方だが、ノーベル賞作家なんだぞ」

フランソワ・モーリアックの息子のクロード・モーリアック(Claude MAURIAC)も作家なので、そういう云い方をしたのであったが、そんな背景をビエール・トンミー氏は知る由もなかった。

「おお、そうであったか。であれば、尚更、君がノーベル賞を受賞するのも必然だな。君は、モーリアックにつながっているんだものな。そうだ、モーリアックの弟子だ、いや、遠藤周作を経て、孫弟子かな」
「いやああ、弟子なんて烏滸がましいなあ」

と照れながらも、エヴァンジェリスト氏は、続けて烏滸がましい言葉を放った。

「まあ、『プロのた…』、あ、うう、そうじゃなくって、ボクの書く文章でモーリアック的レトリックを使うことがあることは確かだけどな」
「おお、おお、そうであろう。正直なところ、どこがそのレトリックなのかは、商学部卒業ながら今は西洋美術史が専門のボクには分らんが、君の過去の作品も『田村書店』で売られる時も来るだろう」

ビエール・トンミー氏は、知ったばかりの神田の有名古書店『田村書店』を持ち出してきた。

「へっ!?ボクの過去の作品?」
「そうだ。雑誌というか雑誌みたいなものだった『何会』とか『東大』だ」






「いや、あれは、ノートをちぎってホッチキスで止めただけのものだったし、そもそも手書きだったから、原本一部しかなかったんだ」
「原本一部があれば、十分ではないか」
「その原本も今はもう、どこのあるのか分らない。ボクが実家を出た後、ボクの残した本なんかは勝手に処分されたようだったし、仮に残っていたとしても、実家を相続後、一緒に相続した次兄が、実家のものは総て廃棄処分としたんだ」
「つまり、原本がどこに行ったか不明ということだろう」
「まあ、そう云えばそうではあるが」
「君がノーベル賞を受賞したことが報道されると、『何会』とか『東大』を持っている者が、それで一儲けを考えても不思議ではない!」
「なるほどお…」
「だが、『何会』とか『東大』とかだけじゃないぞ」
「え!?」


(続く)



2020年8月30日日曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その100]






いや、正確に云うと、『田村書店』だ」

鎌倉文学館で開催されていた特別展「ビブリア古書堂の事件手帖」を周りながら、エヴァンジェリスト氏は、ビエール・トンミー氏が知らない書店名を挙げた。

「古書店というものに興味があった、と云うよりも、『田村書店』に通っていた頃のことを思い出したのだ」

エヴァンジェリスト氏は、眼を遣った特別展示室の天井の隅に、『田村書店』の看板を見ていた。

「なんだ、『田村書店』って?」
「田村正和がやっている本屋ではないぞ。田村亮でもない。ああ、田村亮といってもロンドンブーツではないぞ。田村正和の弟の俳優の方だ」
「どっちにしても、『田村書店』の経営者ではないんだろうに」
「勿論、阪妻』でもない」




「クダラン!」
「古書店だ。古本屋だ。学生時代、ボクがよく行っていた神田の古本屋だ。一階には、日本文学の初版本なんかが置いてあり、二階には、フランス文学やドイツ文学関係の本を取り扱っている結構、有名な古本屋だ。勿論、ボクは有名だから『田村書店』に行くようになったのではない。ボクが必要つとしているものがあったからだ」
「おお、君はやはり文学修士様であるなあ。その『田村書店』の二階にせっせと通っていたのだな」
「違う」
「は?」
「二階にも行くことはあったが、主に行ったのは、一階だ」
「君は初版本に興味があったのか?意外にミーハーなんだなあ」
「違う!モーリアックだ」
「だから、フランス文学関係の本がある二階なんだろ?」
「モーリアックの本は、ああ、原書のことだが、当時、古本でなくとも手に入った。翻訳本だ。大学に入ったところで、いきなりフランス語が読めるものではない。だが、モーリアックの翻訳書は、『テレーズ・デスケイルー』や『愛の砂漠』、『イエスの生涯』なんかは文庫本に入っていたが、当時、他の小説の翻訳はもう流通していなかった。だが、『田村書店』に行くと、絶版となっていた目黒書店の『モーリアック小説集』なんかが古本で手に入ることがあったんだ」
「ああ、モーリアックは、有名ではないものな。君から聞くまでは知らなかったからな」
「おお、嘆かわしい…」

エヴァンジェリスト氏は、両手で頭を抱えてみせた。如何にもな仕草である。


(続く)



2020年8月29日土曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その99]






「古本屋かあ」

エヴァンジェリスト氏が、鎌倉文学館の特別展を見ながら、呟いた。その時(2016年10月)、鎌倉文学館では、特別展「ビブリア古書堂の事件手帖」が開催されていた。エヴァンジェリスト氏とビエール・トンミー氏は、常設展示室から特別展示室に移っていた。

『ビブリア古書堂の事件手帖』って、読んだことがあるのか?」

ビエール・トンミー氏は、意外の感を持った。エヴァンジェリスト氏が、偏読で、石坂洋次郎や遠藤周作、フランソワ・モーリアック等、限られた作家の小説しか読まないことを知っていたからだ。

「ない。興味はない。ドラマだ。『ビブリア古書堂の事件手帖』は、テレビ・ドラマになったことがあるんだ。剛力彩芽が主演していた。AKIRAが相手役だった」
「『あきら』?小林旭か?」
かっぜーに逆らうー♪…いや、違う」




特別展示室でいきなり歌い出したエヴァンジェリスト氏に、他の来館者が、批判の眼差しを向けた。

「君も古いなあ。『あきら』というと、小林旭しか思い浮かばないのか?」
「じゃ、『にしきのあきら』か?」
「♫あーいしてるう♪」
「おい、止めろ!」

他の来館者の眼差しに気付いたビエール・トンミー氏が、肘で友人を突いた。

「君が『にしきのあきら』を持ち出したからだろうに。『にしきのあきら』が、剛力彩芽の相手役をすると思うか!?でも、前田日明でもないぞ。EXILEのAKIRAだ」
「EXILEには興味はないし、よく知らんが、君は、剛力彩芽が好きで、『ビブリア古書堂の事件手帖』のドラマを見たのか?」
「いや、たまたま見るようになっただけだ。でも、ドラマの設定となっている古書店というものには興味はあった」
「おお、君はやはり文学修士様であるなあ」


(続く)



2020年8月28日金曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その98]






「そんな、君から褒められるなんて…あ、いや、『プロの旅人』はボクのBlogではないんだけど」

エヴァンジェリスト氏は、鎌倉文学館の常設展示室を歩きながら、頭を掻いた。友人のビエール・トンミー氏が、Blog『プロの旅人』をクダラナイとしながらも、そこに秘められたものを解析し、評価してきたのだ。Blog『プロの旅人』は、多分、エヴァンジェリスト氏のBlogではなかったが。

「実のところ、ボクも、君があんなクダランBlogでノーベル文学賞を受賞するなんて納得がいかんが、選考委員たちが決めるなら仕方あるまい」

ビエール・トンミー氏は、本当に不満げな顔をしながらも続けた。

「君がノーベル文学賞を受賞すると、『プロの旅人』もここに展示されることになるだろう」
「でも、ボクは鎌倉に住んでいる訳ではないし、特に、鎌倉と縁がある訳でもないけど」
「君は今日、ここに来ているではないか。もう君は、鎌倉ゆかりの『文士』、いや、鎌倉ゆかりの『文士』嫌いの将来のノーベル文学賞受賞者なんだ」
「え?今日、ここに来ただけで、鎌倉ゆかりになってしまうのか!」
「ビジネスだよ。ここ鎌倉文学館だって、ノーベル文学賞受賞者の作品を展示したいだろう」
「なるほどねえ」
「『プロの旅人』は幾つかのエピソードが印刷されて展示されるだけはなく、タブレットが置かれ、ネットでアクセスすることもできるようなるだろう」
「やはり『怪人』ものなんかが展示されるのかなあ?」




「展示されるのは、『プロの旅人』だけではないぞ。『E氏の独り芝居』も展示されるし、それからなあ、ボクたちが交換している『iMessage』も展示さることになるだろう」
「ええーっ!『E氏の独り芝居』は非公開だし、それ以上に『iMessage』は、プライベートなものだぞ」
「ノーベル文学賞受賞者にプライベートはもうないのだ」
「いいのか?君の秘密も公になってしまうぞ。君はひた隠しにしているが、君がやはり広島皆実高校の出身だということも明らかになってしまうんだぞ」
「仕方あるまい。それも、ノーベル文学賞受賞者の友人を持った者の宿命であろう」


(続く)



2020年8月27日木曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その97]






「感想文の修士論文もいいではないか」

ビエール・トンミー氏が、鎌倉文学館で『文学』改革を語っていた。

「君の修士論文は、感想文だったかも知れないが、教授たちの心を動かしたのだろう?」

『ボブ・ディラン』がノーベル文学賞を受賞したことから、ノーベル文学賞選考委員たちが既存の『文学』の改革を狙っており、その一環として、エヴァンジェリスト氏にもノーベル文学賞を授賞しようとしている、と妄想しているのだ。

「ああ、ワッカーバ・ヤッシー・シンさんは、『君の情熱は認める』と云っていた」
「ははん?タイガー・ジェット・シンみたいだが、ワッカーバ・ヤッシー・シンって、教授か?」
「ああ、指導教授だった。修士論文の『François MAURIAC論』のテーマが、『見る』ということだったことから、笑いながら、『眼を瞑ってとおしてやる』と云われた。多分、文学研究科の修士論文の態をなしていなかったんだと思う」

エヴァンジェリスト氏は、無意識の内に、手で頬を触り、指先についた何か湿ったものを凝視した。それが、友人が飛ばした唾であることは認識できていなかった。

「でも、結局は、『君の情熱は認める』と、君の論文審査を合格にしたんだろ?」
「ああ、そうだ」
ワッカーバ・ヤッシー・シンも、それまでにない論文に戸惑ったのだ。だが、君の論文が秘めるものを認めない訳にはいかなったんだろう」
「そうだろうか…」
「『プロの旅人』だって、Blogなのか、ネットに公開された小説なのか、駄文なのか、それはよく分らんが、あれだって『文学』の態をなしているとはお世辞にも云えない。先ず、内容がクダラナさ過ぎる。文章に色を付けているところも、とても真っ当な『文学』とは見えない。そして、何よりあの気色悪いアイコラだ。『文学』にも、そう小説なんかにも挿絵はあるが、アイコラ挿絵なんて、ボクは他に知らん。ましてや、グロなアイコラなんてな」
「いやあ、そこまで云わなくても…」
「だがな、『プロの旅人』は、時にな、いいか、ほんの時にだぞ、人間の本質、世の本質に触れることを書くことがある。それまでのクダラナさは、そういった本質に触れることにありがちな、ある種の胡散臭さ、もしくは青臭さをカモフラージュするものとも見えるんだ。一種の偽悪趣味かもしれん。自らの真の姿を曝け出したくないのだ。衒うことを嫌う君は、恥じを知る男だからな」

と、解説しながら、ビエール・トンミー氏は、己の解析が間違っているとは思わないものの、自らの意思によるものではなく、何かに突き動かされているように感じた。





(続く)