2011年12月31日土曜日

2011年「プロの旅人」的重大(十大)ニュース(前編)

2011年「プロの旅人」的重大(十大)ニュースである。


(10)大型新人登場=カレーナカリフラワー氏

大型新人が登場した。エヴァンジェリスト氏にも堂々と挑んでいったカレーナカリフラワー氏である。


カレーナカリフラワー氏は、あの大御所(大御所過ぎて誰も近寄れない)ミスター・シューベルトの面倒までみるようになった。息子よりも若いが、ミスター・シューベルトが心許す数少ない存在である。




(9)バンドエイド事件=キタグニカラキタ・スパイ氏が起こした事件[いや、疑惑?]

ミスター・シューベルトから、「スパイ」と認定されたキタグニカラキタ・スパイ氏が札幌で事件を起こした。いや、疑惑の行動と云うべきであろうか。




(8)和歌山批判?=いや、イッキュー・センセイ批判

エヴァンジェリスト氏は、イッキュー・センセイのお陰でとんでもない目にあってしまった。和歌山はいい迷惑である。




(7)婚約=お相手は女性!

あの辛口エンジニアのドドスコ氏が、婚約した。今年(2012年)には結婚だ!彼女の前では、辛口も甘口になるのであろう。




(6)定年退職=シショー・エヴァンジェリスト

ああ、わが師匠、シショー・エヴァンジェリストが8月末で定年退職された。シショーとの思いでは尽きない。





【続く】


2011年12月20日火曜日

Ciao! に決めっチャオ........高知で一番美味しい店

「これからは、『Ciao!』 に決めっチャオ」

キタグニカラキタ・スパイ氏は、そんな顔をしていたそうだ。高知の特派員からの報告である。

エヴァンジェリスト氏に薦められるまま高知龍馬空港内のレストラン「Ciao!」に入り、てりマヨ豚丼を食したところ、悔しいことだが、エヴァンジェリスト氏の云う通り、空港内のレストランとは思えぬ美味だったのである。

「総てとは云わないが、一般に空港内のレストランの味には期待できない。有名店らしき店が空港ビルに入っている場合もあるが、デパートのレストラン街と同じで高いだけで決して美味しくはない」

いっぱしのグルメかの如くエヴァンジェリスト氏は語る。

「尤も、『Ciao!』 は有名店ではない、多分。どちらかと云えば、やや古びた、デパートの中の食堂といった風情だ。それはそれで、味に期待できそうな店構えではない、失礼かもしれないが」

いつになく真面目な語り口である。

「しかし.........ある時、一緒に出張したスモーキン・パパと何気なく『Ciao!』に入り、ビーフカレーを食べて驚いた。うまいのだ。味が深い。味がルーに沁み入っている感じなのだ。しばらくしてまた高知に出張した際に、またCiao!に入り、ビーフカレーを食べた。この時も同じ味で、相変らずうまかった

同じ味なのは、同じ店なのだから当り前といえば当り前だが、同じ店でも日によって味が違うことはなくはない。

「その後は、高知に出張した時には、少なくとも空港で食事を摂る時には、必ず『Ciao!』にすることにした。そして、ビーフカレーを頼んだ。しかし、ある時、事情があって、二日続けて高知龍馬空港で食事をすることとなり、勿論、二日とも『Ciao!』に入ったが、二日続けてカレーもないであろうと、試しにと、てりマヨ豚丼を頼んだ。見た目は美しはなかった。まあ、美しい豚丼というものも知らないが.........また、量も多く、こりゃ、全部は食べ切れないなあ、と思った。.............が、最近、歳と共に、食が細くなったワシだが、その量の多いてるマヨ豚丼を完食した」

思い出し語りながら、満足気な表情である。

「ワシは思った。この店はただものではない。高知で一番美味しい店だ

高知の総ての食事処で食べたことがある訳ではなかろうし、オーバーな表現とは思ったが、それだけ美味しいということで、気持ちは分らなくはない。

「きっと、料理人が凄いのだ。ワシがレストラン業に乗り出す時には引き抜いてもいいとさえ思った」

いつレストラン業に乗り出すのだ。還暦を過ぎても定年延長で今の会社に残してもらうしかないくせに。

................レストラン業に乗り出すかどうかともかく、エヴァンジェリスト氏は久しぶりにキタグニカラキタ・スパイと高知に出張した際に、強く「Ciao!」を薦めたのであろうことは想像するに難くはない。

ところで、「今後は、『Ciao!』 に決めっチャオ」、とそんな顔をしていたキタグニカラキタ・スパイ氏であったそうだが、きっと悔しいはずだ。

エヴァンジェリスト氏なんかの説に同調しなくてはいけないなんて、キタグニカラキタ・スパイ氏にとって屈辱のはずだ。自分のことを「スパイ」呼ばわりするミスター・シューベルト(誕生!ミスター・シューベルト。)やそれと同類のエヴァンジェリスト氏なんかと同じ見解を持つことは不本意なはずだ。

しかし、「Ciao!」が美味しい店であることは否定できなかったのであろう。

さあ、みなさんも高知龍馬空港で食事をするなら、いや、高知で食事を摂るなら、「『Ciao!』 に決めっチャオ」。

2011年12月16日金曜日

キタグニカラキタ・スパイ氏、大失態!?(後編)

キタグニカラキタ・スパイ氏、大失態!?(前編)の続きである)


「キタグニカラキタ・スパイが、札幌で靴にバンドエイドを貼っていたのは事実だ」

エヴァンジェリスト氏は、札幌特派員からの情報をあっさり事実だと認めた。

「しかし、あのずる賢い程頭のいいキタグニカラキタ・スパイが、ただただ靴にバンドエイドを貼る訳がなかろう」
「そうすでよね。やはり、何か裏があるんですね?」
「まさか、スパイらしからず奥さんにべた惚れのキタグニカラキタ・スパイが、前夜、奥さんが愛を込めて磨いてくれた靴を壊す訳がなかろう」
「はぁ?」
「まさか、お客様訪問にあたっても常に完璧を目指すキタグニカラキタ・スパイが、お客様訪問の直前に靴を壊す訳がなかろう」
「はぁ?」
「まさか、恥を知る男であるキタグニカラキタ・スパイが、踵だけでなく後ろ半分が崩壊した靴にバンドエイドを貼ってお客様の会社に入る訳がなかろう」
「はぁ?」
「そう、ご推察通り、キタグニカラキタ・スパイにバンドエイドを渡したのはワシだ。2枚渡した」
「いえ、何も推察はしていませんが.....」
「その2枚のバンドエイドをキタグニカラキタ・スパイが自身の靴に貼ったことは否定はしない」

「じゃあ、本当に靴が壊れてバンドエイドを貼って凌いだのですか?バンドエイドを貼った靴でお客様の会社を訪問したのですか、あのキタグニカラキタ・スパイ氏が。恥知らずですね」
「君は相変らず何も分かっていない。だから云っただろう、あのキタグニカラキタ・スパイが、ただただ靴にバンドエイドを貼る訳がない、と」
「じゃあ、何なんですか、あのバンドエイドは?」
「客先からホテルのある狸小路に戻ったキタグニカラキタ・スパイは、横断歩道を靴をパッカパッカいわせながら渡り、AB●-MARTに向った。ワシが把握しているのはそれだけだ」
「AB●-MARTって、あの靴屋の?....って云うことは、キタグニカラキタ・スパイ氏はやはり大失態だったのですね?」
「いや、あのAB●-MARTはきっと、何か一種の秘密連絡基地なのであろう。ワシも一緒に行くと云ったら、『いえいえ、私一人で参ります』と拒まれた。バンドエイドを貼った靴をパッカパッカいわせながら札幌の街を歩くことに何の意味があるのかは分らない。しかし、スパイである奴のこと、きっと何か、我々一般人には把握し難い意味があったのだと、ワシは確信する」

2011年12月15日木曜日

キタグニカラキタ・スパイ氏、大失態!?(前編)

札幌の特派員から特報が入った。
「キタグニカラキタ・スパイ氏が大失態ですう!」

キタグニカラキタ・スパイ氏がエヴァンジェリスト氏と一緒に、久しぶりに地元北海道に出張するらしきことは噂に聞いていたが、スパイ氏は一体、札幌で何をしでかしたのか?

「バンドエイドですう」
「バンドエイド?怪我でもしたのか?」
「いえ、違います」
「じゃ、誰か怪我でもさせたのか?エヴァンジェリスト氏の暴言に我慢し切れなくなり、暴力に及んだのか?」
「いえ、靴です」
「靴?.....君は何を云いたいのか。そんな訳の分らない報告では特派員を続けさせられないぞ」
「でも、靴なんですう」
「靴にバンドエイドを貼る訳でもあるまいし」
「いえ、靴にバンドエイドを貼った訳であります
「はぁ?」



「なんだ、それは?」
「バンドエイドですう」
「見れば分る。だ、か、ら、何故、靴にバンドエイドを貼っているんだ?」
「失態なんじゃあないですか?靴に怪我でもしたんでしょう。キタグニカラキタ・スパイ氏、大失態ですね。フフフ」

靴に怪我?靴にバンドエイド?.......そんな訳ないであろう。そこには、何か秘密があるのだろう。そうだ、エヴァンジェリスト氏に訊いてみよう。

2011年12月4日日曜日

盛岡:「酒ケーキ」で「マダム」も籠絡

ローラククイーン13世は、マダム・エヴァンジェリストをも籠絡した......................

岩手のお土産と云えば、『かもめの玉子』だとお思いだろうが、エヴァンジェリスト氏によると、『かもめの玉子』しか思い浮かばないのは素人だそうだ。

「勿論、『かもめの玉子』は美味しい。震災で一時、製造できる状態になかったが、震災から1ヶ月余り後の4/20に製造開始をし、ホットした。しかし、しかし、だ」
「なんですか?」
「岩手のお土産は『かもめの玉子』だけではない。『田むらの梅』もお薦めだ。梅餡を求肥で包んで、更に青紫蘇の葉でも包んだ生菓子だ。『献上 田むらの梅』と『伝承 田むらの梅』とがあるが、表面に砂糖をまぶした『伝承 田むらの梅』が特にいい。絶品だ」

故あって、マダム・エヴァンジェリストが岩手事情に詳しいのだ。

出張しても普段は、自宅にも会社にもお土産を買って帰らないエヴァンジェリスト氏だが、盛岡に出張した時には、時々ではあるが、マダム・エヴァンジェリストの指示で、『田むらの梅』を自宅向けに買って帰ることもあるらしい。

しかし、最近、エヴァンジェリスト氏が盛岡出張の際に買って帰るお土産が変った。『酒ケーキ』である。勿論、マダム・エヴァンジェリストの指示だ。

「お酒を含ませたスポンジ・ケーキだ。ほのかな日本酒の味わいが上品だ。花巻の砂田屋が製造している」
「盛岡駅でも買えますよね?」
「おぉ、たまにはいいことも訊くなあ。そこに注意だ」
「注意?」
盛岡駅で買えるが、新幹線の改札内のお土産屋『美味山海』でしか売っていないのだ。先日の出張の際には、1200円のものを4個も買って帰った」
「ローラククイーン13世と盛岡出張した時ですね?」
「そうだ。ローラククイーン13世にも酒ケーキを教え、薦めた。女房(マダム・エヴァンジェリスト)の指示があったのだ。逆らう訳にはいかない」
「情けない亭主ですね」
「ワシを信用するローラククイーン13世は素直にワシの薦めに従い、彼女も酒ケーキを買って帰った」
「貴方を信用しているかどうかは知りませんけどね。他人を疑うことを知らない、素直な性格の人ですからね、ローラククイーン13世は」
「後日、ローラククイーン13世は『酒ケーキ』ってとっても美味しかったです、と感激していた。そのことを女房(マダム・エヴァンジェリスト)に報告すると、普段、ワシに対して笑顔を見せることのない女房の顔が僅かだが綻んだ」

ローラククイーン13世は勿論、意図してのものではないであろうが、エヴァンジェリスト氏に対していつだって眉間に皺を寄せた顔しか見せないマダム・エヴァンジェリストの顔を綻ばせたのである。『ローラククイーン』の本領発揮である

2011年11月24日木曜日

強盗?….気をつけろ!

「強盗?….気をつけろ!」

アルバイト先のパン屋の近くにある「築地銀だこ」に包丁強盗が入ったらしい、と報告するマドモワゼル・エヴァンジェリストに、エヴァンジェリスト氏が云ったのだ。

「大丈夫、大丈夫」

「大丈夫じゃあないぞ!刺すなよ」

「?!…….」

「君は、逆に強盗を刺しかねないからな」

何たる父親か(トホホ)。

2011年11月21日月曜日

大型新人、参上!.........カレーナカリフラワー氏。【後編】

大型新人、参上!.........カレーナカリフラワー氏。【前編】の続きである)


しかし、カレーナカリフラワー氏の大物振りは、エヴァンジェリスト氏に対してだけ発せられたものではなかったのだ。

恐れ多くもローラク・クイーン13世に対しても、カレーナカリフラワー氏は挑んでいったのである。

セミナーではお客様向けに弁当を用意し、同じ弁当をエヴァンジェリスト氏他のスタッフも食したのであるが、エヴァンジェリスト氏と二人でその弁当を食べながら、カレーナカリフラワー氏が云った。

「この弁当の味、何だか妙ではないですか?」
「美味しいじゃあないか」
「いや、妙ですよ」
「君は、この弁当を選んだローラク・クイーン13世を批判するのか」
「批判する訳ではないですが、妙なものは妙ですよ」
「なんだと!」
「このカリフラワー、カレー味がついてますけど」
「カレー味だっていいじゃあないか。とんかつにカレー・ルーをかけてはいかんがな(和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その1】和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その9-最終回】)」
「水っぽくないですか」
「ローラク・クイーン13世に言いつけるぞ!」
「止めて下さいよ。大人げないですよ」

といったやり取りがあったと聞く。

そして、文字通り、大人げないエヴァンジェリスト氏は、ローラク・クイーン13世に告げ口をしたのだ。

「カレーナカリフラワーが、弁当の味が妙だ、カリフラワーが水っぽかった、と云ってるぞ」

その場に居たカレーナカリフラワー氏は、本当に云うなんてなんて大人だ(父より年上のなのに)、といった様子で顔を赤らめていたらしい。

しかし、ローラク・クイーン13世は、エヴァンジェリスト氏とは人間のできが違っていたようだ

「そうかもしれませんね。ちょっと水っぽかったかな、フフ」

とコトを収めたのである。

エヴァンジェリスト氏もカレーナカリフラワー氏も、ローラク・クイーン13世に学ぶべきである。


2011年11月20日日曜日

【夫婦の光景】久々の夕食デート

日曜日の夜、エヴァンジェリスト氏は、久しぶりに夫婦二人で、近くの居酒屋に外食しに行った。炭火焼の店である。

夫婦共に飲酒しないのに、珍しくエヴァンジェリスト氏は巨峰サワー、マダム・エヴァンジェリストはレモン・サワーを頼んだ。二人は、あっという間に顔を赤くした。

そして、お通しのクリーム・シチューを食した後、食べ物は先ず、サラダ、チョリソを頼んだ。

「チョリソって何?」

マダム・エヴァンジェリストが訊いた。

「チョリソはチョリソだよ」
「いわしのソーセージよ。思い出したわ」
「ふううん(?)」

馬鹿な夫婦である。

次に、巻貝とホタテを頼み、満足した後に、夕食セットメニューから、エヴァンジェリスト氏は焼鳥丼、マダム・エヴァンジェリストはつみれ鍋を頼んだ。

「美味しい!」

普段、意見が合うことのない二人が声を揃えて云った。

.......そして、満腹な上に、馴れぬアルコールを飲み顔を火照らした二人は肩を並べ、ゆっくりゆっくり歩いた。

「星が奇麗だね」

寒風の空を見上げ、エヴァンジェリストが云った。

「薄っぺらい野郎め!」

マダム・エヴァンジェリストが言葉を吐き捨てた。新幹線を止めようとした際の語気並であった(新幹線を止める新幹線に追い付いた!?)。

ポンポン!エヴァンジェリスト氏が突き出た腹を叩いて云った。

「いや、厚いぜ!」

幸せな夫婦である。



大型新人、参上!.........カレーナカリフラワー氏。【前編】

大型新人が現れた。

カレーナカリフラワー氏が、キタグニカラキタ・スパイ氏、ダカラムスメモ氏、トバナイノニトンダ氏、ローラク・クイーン13世、そして、エヴァンジェリスト氏と一緒に大阪に出張した。大阪でのセミナー開催の為の出張である。

新入社員のカレーナカリフラワー氏、初の出張である。初の出張が、エヴァンジェリスト氏と一緒だなんて可哀想に、と思っていたら、どうやら余計な心配であったようだ。

例によって、エヴァンジェリスト氏は新人いじりをしようとしたが、悉くいじり返しをされたらしい。

「セミナーの講師、代りにやってくれよ」

とエヴァンジェリスト氏が冗談云うと、並の新入社員なら、

「いやぁ........無理です」

等と云うところを、この大型新人は、

「いいですよ。だったら、その前に今晩中に、私を講師ができるようにして下さい」

と、一休さん風の返しをするのであったらしい。屏風の中の虎を退治せよ、と命じられた一休さんが、「承知したが先ず、虎を屏風から出して下され」、と云った風にである。

ああいえばこういうとはこのことを云うのかといった二人の掛け合いであったという報告が来ている。

2011年11月13日日曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その9-最終回】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その8】の続きである)


「イッキューは、そのそば屋で鴨せいろを頼んだ」
「鴨せいろはいいですね。私も好きです」
「君のことはどうでもいい。その鴨せいろに、あいつは七味をかけるつもりが、山椒をかけおった。ハハハハハ
「貴方、性格悪いですね」
「そうだ、総て、イッキュー・センセイが悪いんだ。そう云えば、あの店の接客はとてもよかった。きっといい店なんだ。とんかつにカレー・ソースをかけるのもあの店なりの工夫なんだ。ワシはその味は気に入らんが、和歌山ではあの店は多分、有名なんだ。皆、あのとんかつ定食のことを知っていて、わざわざ食べにいっているのだろう。そのことをコチラは知らなかったのだ」
「そう、きっといいお店なんでしょう」
「総てはイッキューのせいなんだ」
「もう一度云いますが、他人のせいにするのはよくありませんよ。自己責任です!」
「ワシは『自己責任』という言葉が大嫌いだ」

エヴァンジェリスト氏につける薬はないようである。



2011年11月12日土曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その8】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その7】の続きである)


「5月に和歌山に出張した時に、打合せが長引き、和歌山ラーメンを食べることができなかった。出張前にイッキュー・センセイが和歌山ラーメンを食いたい、食いたい、云っていたのに、空港バスに乗る時間だったから食べなかったんだ。その後、あいつは、もう1本後のバスにしても間にあったのに、そうすれば和歌山ラーメンを食べられたんだ、としつこく云った」
「まあ、彼の性格ですね」
「で、奴には悪かったと思い、今回、井出商店に連れて行ったのだ。なのに、その翌日も和歌山ラーメンにこだわりやがった」
「よほど和歌山ラーメンが気に入ったのですね」
「そうだ!あいつの妙なこだわりのせいだ。そのせいで、ワシはあんな変なものを食べる羽目になったのだ。だから、あいつにはバチがあたったのだ」
「バチ?」


2011年11月11日金曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その7】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その6】の続きである)


「しかし、井出商店は駅(和歌山市駅ではなくJR和歌山駅)から少し遠い。だから、あの時はもっと駅よりの別の有名店に行こうとしたんだ」
「なるほど」
「そうか、けしからんのは、イッキューだ。あいつが和歌山ラーメンを食べたいと云ったからだ」
「その別の有名ラーメン店には結局、行かなかったのですか?」
「行った。が、昼食時をかなり過ぎていたからか、『準備中』となっていた。それで、近くにあったあのそば屋に入ったんだ」
「そういう事情ですか」
「そうだ!あいつのせいだ」
「また、他人に責任を押付けるのですか」


2011年11月10日木曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その6】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その5】の続きである)


「何にせよ、そのそば屋は駅前と云っても、駅から少し歩いたところにあるんじゃないですか。わざわざそこまで行ったのなら、よく調べて行けばよかったじゃあないですか」
「そのそば屋に行きたかったのではない。イッキュー・センセイが和歌山ラーメンを食いたいと云うから、あのあたりにある和歌山ラーメンの有名店に行こうとしたんだ」
「井出商店には行かなかったのですか?」
「おお、君、詳しいな。井出商店を知っているのか。行った。前の晩に井出商店に行き、特製の大盛(要は、チャーシューが多くのっているラーメンの大盛)を食べた。うまかった
「有名ですからね」
「早寿司も食べた。これもうまかった。イッキュー・センセイは卵(ゆで卵)も食べた」
「和歌山のラーメン屋には、寿司と卵が置いてあるんですよね」
「そう、精算する時に、ラーメンの種類,と云っても、特製か大盛かといったものしかないが、まあラーメンの種類と寿司、卵をそれぞれ何個食べたか自己申告するんだ」
「なんだか、いっぱしの和歌山ラーメン通気取りですね」



2011年11月9日水曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その5】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その4】の続きである)


「和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?……和歌山の人々よ、貴方たちはとんかつにカレーをかけて食べるのか!?それでいいのか!?君たちの舌はそんなものなのか?」
「いや、和歌山のとんかつがみんなカレー・ソースということではないでしょう。決めつけ過ぎです。今、ネットで調べましたが、福井のカツ丼とは訳が違うようです。福井でカツ丼といえば、ソースカツ丼ですが、和歌山でとんかつと云えば、カレー・ソースかけ、ということではないようです」
「随分、和歌山の肩を持つなあ」
「それに、そのそば屋のことも調べましたが、かかっているのはデミグラではないですか?そうネットに書いている人たちがいました。しかも、美味しいと」
「五月蝿い!あれは決してデミグラではない。間違いなくカレーだ」

2011年11月8日火曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その4】


「いや、君は分っていない。とんかつを頼んで、出てきたものを食べてみたら、カツカレーだったときのショックを」
「大げさですね」
「しかも、正確に云うと、それはカツカレーでもなかった。それには、カレーがとんかつに、まさに味噌カツのようにかけてあるだけだった。カツカレーであれば、カレー・ルーがもっと多くある。カツカレーは、基本はカレーライスであり、そこにとんかつがのせてあるものを云う。しかし、あの店で出てきたものはカレーライスではなかった。とんかつ風のものにカレー・ソースがかけてあるものだったのだ」
「で、どうしたんですか?食べたんですか?」
「食べた。仕事の関係で遅い昼食だったから、仕方なく食べた」
「で美味しかったですか?」
「しつこい!うまい、まずい、じゃあないんだ。注文したものと違うものが出てきたのだ。iPhoneを注文したのに、Andorid携帯を出されたようなものだ」
「はあ?」


2011年11月7日月曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その3】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その2】の続きである)


「で、美味しかったのですか?いや、お怒りのところをみると、まずかったのですか?」
「うまい、まずい、ではない!君は相変らず何も分かっていない」
「……」
「ワシはとんかつ定食を頼んだのだ。しかし、出てきたものはとんかつではなかった」
「いや、とんかつだったのでしょう?カレーがかかってはいたのでしょうが」
「ばっかもん!カレーがかかったとんかつは、とんかつではない!それはカツカレーだ」
「ま、いいじゃないですか(ヒトサシユビK風に)。カツカレーはお嫌いですか?」
「いくない!カツカレーは嫌いではない。よく注文する」
「だったらガタガタ文句を云わなくてもいいじゃないですか」
「カツカレーは嫌いではないが、あの時、ワシが食べたかったのは、そして、頼んだのは、カツカレーではなく、とんかつ定食だったのだ」
「面倒臭い人ですね。まあ、気持ちは分らなくはありませんが」


2011年11月6日日曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その2】

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その1】の続きである)


「イッキュー・センセイと和歌山駅近くのそば屋に入り、ワシはとんかつ定食を頼んだ」
「ああ、あのイッキュー・センセイとですね」
「そう、イッキューとだ。出てきたとんかつを見ると、何やらかかっている。….ほーっ、和歌山なのに味噌カツか、とワシもイッキューもそう思った」
「味噌カツはお嫌いですか?」
「いや、大好きだ。名古屋や岐阜に行くと、よく味噌カツを食べる。味噌カツを頼んだ覚えはないが、まあいい、というか、むしろ好むところだ、とそう思った。予期せず味噌カツを食べることができるのだと」
「しかし、とんかつにかかっていたのはカレーだった、ということなんですね」
「そうだ、その通りだ」
「お品書きか何かに書いてなかったのですか?」
「ない」

2011年11月5日土曜日

和歌山の人々よ!…..それでいいのか!?【その1】

「和歌山の人々よ!…それでいいのか!?」

随分、挑戦的だ。どうやらエヴァンジェリスト氏はお怒りのようだ。和歌山出張帰りである。

「君はとんかつに何をかける?」
「ソースですが……..わざわざご質問なさるところをみると、味噌という答を期待していたのですか?」
「まあ、普通というか、世の中には、ソースをかけるとんかつか、味噌カツしかないであろう。なあ?」
「他にあるんですか?」
「ない。いや、あってはならぬ。ならぬが、実際にはあったのだ」
「和歌山では、とんかつにカレーをかけるのだ」
「え!?」

2011年10月20日木曜日

奥さん、それはいけません【飛行機でのマナー】

「君を見損なったな」

久しぶりに一緒に出張したワカシショー・ブラック氏に対して、お冠なエヴァンジェリスト氏である。

「いやあああ、云えませんよ。だったら、アナタが自分で云えばいいじゃないですか!」

二人は何を言い争っているのか?

飛行機を降りた時の会話であった.................


「いやあ、やられた。久しぶりだな。あんな奴は」
「どうしたんですか?」
「目を覚ましたら、おもいっきり背を倒していやがった」
「ああ、いますよね。飛行機の椅子の背を倒してくる人って」
「パソコンを開くのもやっとだった。ノート・パソコンを鋭角にしか開けなかった」
「ああ、困りますよね」
「りんごジュースを飲むのにも気を付けないといけなかった」
「熱い珈琲だともっと危ないですよね」
「その通りだ。さすが、君もプロの旅人予科練だけのことはある」
「予科練ですか?」
飛行機の座席は新幹線とは違うんだ。新幹線だって椅子の背を余り大きく倒すと後ろの人に迷惑だが、新幹線はまだしもだ。前の席と後ろの席とが、ある程度、空いているからな
「それでも、少ししか倒しませんよ」
「さすが予科練だ」
「相変らず、しつこいですね」
「しかし、飛行機は違う。前の席と後ろの席との間はかなり接近している。しかも、国内線だとせいぜい1時間前後しか席に座っていないんだから、椅子の背は倒してはいかのだ
「ほんと狭いですからね」
「だからワシは絶対、背を倒さない。他の人たちも背を倒さなくなっていた」
「確かに、最近、滅多に背を倒す人に遭遇しません」
「倒してきた奴には後ろからスリーパー・ホールドをかけてやろうかと思ったこともある」
「その気持ち、分ります」
「そうか、そうか。予科練を卒業させてやってもいいかなあ........」
「........でも、ウチの奥さん、おもいっきり倒すんですよねえ」
「はああああ?」
「おもいっきり倒すんです」
「飛行機でか?」
「はい、飛行機で」
「なにいいいいい!君は奥さんに注意をしないのか!?」
「しません」
「何故だ?」
「怖いのか?」
「怖いです。でも、内緒ですよ」


「君を見損なったな」
「いやあああ、云えませんよ。だったら、アナタが自分で云えばいいじゃないですか!」

開き直ったワカシショー・ブラック氏に対して、それ以上、エヴァンジェリスト氏は云えなかった。妻というものの怖さを知らなくはないからであったのであろう。

そして、独り言のように呟いた。

「奥さん、それはいけません。飛行機では椅子の背を倒してはいけません」

その声は決して、ワカシショー・ブラック夫人にまで届くものではなかった。



2011年10月9日日曜日

スティーブから学んでいない......

「我々は、スティーブから学んでいない......」

スティーブに先見性はなかった.....と、ついにスティーブ・ジョブズについて語ったエヴァンジェリスト氏が続けて語る。

「我々は、スティーブが創った未来を享受しているが、スティーブから学んではいない」

どういう意味か分らず、黙っていると、

「我々は、スティーブが創ったMacintosh、iPod、iTunes、iPhone、iPadで、それら以前の時代には創造だにできなかった生活を送れるようになった。今、iPhoneのない生活なんて創造できない。しかし........」
「しかし?」
「しかし、だ。我々は、いや、総ての者がとは云わないが、多くの者が、未来を創造してみせたスティーブの教えを学んでいない。スティーブが創った未来は享受しながらも、その未来を創造する方法を学ばない。未来を創造しようとしない。自分にできるとは思わない。未来の創造そのものではなくとも、未来を創造する為にとる方法論を実行しようとはしない
「いや、スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションは、素晴らしく、『スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン』という本はベストセラーになってますよ」
「相変わらず、君は何も分っていない。確かに、スティーブはプレゼンテーション上手だ。が、ただスティーブのプレゼンテーションの仕方を、その表面(おもてづら)を真似ても何にもならない。
「それはそうですが..........」
「クリエイティブも大事ではあるが、それ以上に大事なのはオファーだ。プレゼンテーションの表現(クリエイティブ)よりも、プレゼンテーションする(提示する)内容(オファー)の方がより大事なのだ」
「ダイレクト・マーケティングでも云われることですね」
「スティーブは確かにプレゼンテーションがうまい。そのテクニックを学ぶのも良かろう。しかし、真にスティーブから学ぶべきものを知るべきだ。人々は、スティーブが創った未来は享受しながらも、未来を創造する上で不可欠な要素である固定観念からの脱却ができないのだ
「いや、誰でもがスティーブ・ジョブズのようになれる訳ではありませんよ」
「それが既に固定観念だ。スティーブは特別な存在ではなかった。誰でもがスティーブのようになれるのだ
「貴方もですか?」
「私はスティーブではない。エヴァンジェリストだ」
「???」

2011年10月8日土曜日

スティーブに先見性はなかった.....

「スティーブに先見性はなかった.....」

エヴァンジェリスト氏が、ついにスティーブ・ジョブズについて口を開いた。

同級生であったスティーブ・ジョブズに先立たれ、どういう気持ちでいるのかと気になっていたのだ。

因に、「同級生」というのは、エヴァンジェリスト氏の表現である。同学年という意味らしい。しかも、日本の学年に換算してである。エヴァンジェリスト氏は1954年生まれ。スティーブ・ジョブズは、1955年の2月生まれ(所謂、早生まれである)。エヴァンジェリスト氏とスティーブ・ジョブズが本当に同じクラスになったことがあるのか(文字通りの同級生であったのか)は、知らない。

「スティーブに先見性はなかった.....」

繰返した。悲嘆にくれているのかと思ったら、批判的言辞か.........

「そう、スティーブに先見性はなかった.....」

くどい!....しかし、それで分った。エヴァンジェリスト氏の気持ちが分った。

表情はいつもと変らず、何を考えているのか読めなかったが、同じことを三度云うところから、氏の動揺を私は読んだ。

しかし、あれだけ先見性があったと云われるスティーブ・ジョブズのことを先見性がなかったという真意が分らない。Apple社が出したコメントでも「先見の明があった」と云われているのである

「スティーブに先見性はなかった。彼は未来を創造したのだ。未来を見透したのではなく、未来を予測したのではなく、未来を創造したのだ」

アラン・ケイか!

アラン・ケイは云ったのだ、「未来を予測する最良の方法は、未来を創造することだ」と。有名な言葉である。

周知のことかと思うが、アラン・ケイは、Macintoshの源流とも云えるXeroxのAltoの開発に携わり、その後に、Appleのフェローにもなった「パーソナル・コンピューターの父」とも云われる人物である(美しくなければいけない(後編))。パーソナル・コンピューターという概念・言葉を考えたとも云われる。「Dynabook」なる概念・構想(云うまでもなかろうが、東芝のノート・パソコンのことではない)を提唱し、その実現がiPadと捉えることもできるのだ。

「スティーブは、日常生活にコンピューターのある未来社会を予見したのではない。音楽を、しかも大量の曲をウチの外で聞ける未来生活が来ると読んだのではない。音楽をレコード店に買いに行かなくてもいい時代が来ると予想したのではない。ウチの中でも、外を歩きながらでも、通勤電車の中でも、ゴルフ場でもどこでも知りたい情報を得られるようになる場面を想像したのではない」
「................」
「スティーブは、Macintoshで、iPod、iTunes、iPhone、iPadで、そんな社会を、そんな生活を、そんな時代を、そんな場面を創ったのである。そんな社会を、そんな生活を、そんな時代を、そんな場面を創りたくなり、それを実現したのだ」
「................」
「スティーブに先見性があった訳ではない。スティーブは、未来を創造したのだ。そして、我々はスティーブが創った未来を享受しているのだ」

2011年9月28日水曜日

石原プロ.......いいのか!?炊き出しカレー。

「『炊き出しカレー』発売だなんて、やりますね。石原軍団」

と云うと、エヴァンジェリスト氏は不機嫌になった。石原プロ系とも噂される氏が喜ぶであろうと思っていった言葉であったのだが......

「君は本当にいいと思うのか?石原プロのそのやり方を」

「売上の一部を被災地への寄付にあてるらしいじゃあないですか。素晴らしいではないですか」

高島屋がこの(2011年)11月中旬から「石原軍団炊き出しカレー」、「石原軍団炊き出しとん汁」を発売し、その後に「石原軍団炊き出しおでん」、「石原軍団炊き出しぜんざい」も発売するらしい。

「小林専務がいたら、あり得ないことだ」
「震災に便乗した商売と見られているのですか?」
「石原プロはそんな会社、集団ではない。高島屋も同じだ。純粋に被災者支援を考えてのことだろう」
「では、いいではないですか」
「いや、それでもよくはないのだ。『炊き出しカレー』は本当に『炊き出しカレー』だと思うかい?」
「思いますけど......」
「味は石原プロが作る『炊き出しカレー』のそれを再現するのかもしれない。しかし、『炊き出しカレー』は『炊き出し』をするから『炊き出しカレー』なんだ。味を再現したからといってそれは『炊き出しカレー』にはならない。渡さん、舘さんが、スタッフを含め石原プロの面々が、現地に行って、そこでカレーを作り、現地の皆さんに一人一人手渡しするから『炊き出しカレー』なんだ
「ま、いいじゃないですが(ヒトサシユビK風に)」
「小林専務がいたら、炊き出さない『炊き出しカレー』なんて決して認めなかったはずだ。これは被災者支援であってビジネスではないであろうが。まあ、小林専務がいなくなって(石原プロが新体制になって)、社員が自由な発想をするようになった一つの成果ではあるのかもしれない」
「だったらいいじゃあないですか。五月蝿い人だなあ」
「自由な発想をするようになったのはいい。その方向性を否定するものではない。しかし、この件に関しては、その対応振りはいいことではないのだ。ねえ、小林専務?」
「え?小林専務と連絡を取合っていらっしゃるんですか?」
「君には関係ないことだ」

船橋停車?

「ワシは、船橋停車にでもなるかぁ.......」

と、突然、エヴァンジェリスト氏が意味不明なことを云い出した。

「市川でチューシャするなら、そのちょっと先の船橋でテイシャしたっていいじゃあないか」

少し読めてきた。

「テルがあの歳でデビューするんだから、ワシだってデビューしたっていいだろう」
「テルって、まさかカガワ....」
「そうじゃ、照之だ」

くだらない!もう聞く気がしない。

もうお判りであろう。俳優の香川照之が46歳にして、「市川中車」名で歌舞伎デビューすることを云っているのだ。

確かに、46歳で歌舞伎デビューなんて聞いたことがない。しかし、だからといって「ワシは」にはならないであろう。「ワシ」には、歌舞伎役者になる資格もツテもないはずだ。

香川照之は、父親が市川猿之助(この度、二代目『市川猿翁』を襲名し、甥の市川亀治郎が猿之助を襲名するそうだが)なのだから、資格は十分だ。46歳という年齢からすると、それあり?な感じではあるが。

しかし、エヴァンジェリスト氏の場合、父親はただの設計士だ。戦艦大和の設計士だ(まあ、それはそれで特別ではあるが)。所謂「梨園」とは縁なしのはずだ(梨園[なしえん]を経営してもいないはずだ)

それに、エヴァンジェリスト氏は香川照之よりもおよそ一回りも年上、還暦に近いのである。その年齢でましてや歌舞伎デビューなんてあり得ないではないか!

尤も、エヴァンジェリスト氏は、「エヴァンジェリスト」を演じているのであろうし、石原プロ入りするのではないか、とか、AppleのCEOになるのかも、等と妄想がヒドイところも役者向きといえなくもない。

フェイスも結構いけてるし.........


ああやばい。いつの間にかエヴァンジェリスト氏のペースにはまりかけている。

2011年9月25日日曜日

「ままかり」か「鎌倉パスタ」か

「岡山と云えば『ままかり』だな」

久しぶりに岡山に出張したエヴァンジェリスト氏が、したり顔で云う。

ご存じかと思うが、「ままかり」は岡山名物の青魚である。「飯借」と書く。美味し過ぎて自宅のご飯を食べ尽し、隣家に「飯(まま)」を借りにいく程だ、というところから来ていると云われる。

「ままかり寿司がうまい!ままかり寿司と云えば、吾妻寿司だ。岡山駅在来線改札を入って正面の売店で売っている吾妻寿司のままかり寿司は絶品だ。但し、よく売れるからか早く買わないと売り切れてしまっていることもある」

調べてみると、吾妻寿司は100年以上続く名店であるらしい。岡山駅ビル「さんすて岡山」店(改札の外側)もあり、持帰り用の寿司の販売の他、カウンター席もあり、そこで食べることもできるようになっているらしい。

「岡山駅で吾妻寿司の『ままかり寿司』を買って、四国に渡る特急電車の中で食べた時には感動さえ覚えた」
「そんなに美味しかったんですか」
「そんなに美味しかった。それ以来、『ままかり』ファンになってしまった」
「『ままかり』は東京では食べられないんですか?」
「いい質問だ。東京ではなかなか「ままかり」は見つからなかった。が、見つけた。高級スーパーの成城石井で『ままかり』の酢漬けを売っている。これも絶品だ
「今回、久しぶりの岡山で、『ままかり』を食べたんですか?」
「ムッ………鎌倉パスタでカルボナーラを食べた
「はぁ?何故、岡山で鎌倉パスタなんですか?」
「岡山駅ビル内にあるからだ」
「何故、同じ岡山駅ビルにある吾妻寿司で『ままかり寿司』を食べなかったんですか?」
「う、五月蝿い!一緒に出張したオレハオトコダヒロイン氏が鎌倉パスタを食べたいと云ったからだ。それに鎌倉パスタもうまいではないか。….ところで、青魚と云えば、鹿児島の『きびなご』もうまいぞ」
「そんなことは訊いていません!」

エヴァンジェリスト氏が「ままかり」好きなのは嘘ではないのであろうが、今回の出張ではただ鎌倉パスタを食べたかっただけなのであろう。それならそうと云えばいいのに、オレハオトコダヒロイン氏のせいにするとは男らしくない。


2011年9月22日木曜日

スカリーは間違っていたのか?(後編)

「虚」中の「実」は、本来、「虚」である。そのはずである。「夢」の中に「現実」は存在し得ないように

しかし、それはそもそも「虚」であったのか?........と、エヴァンジェリスト氏は云う。

スカリーの教えは「実」である。彼のマーケティングの教えは決して間違っていない。

では、スカリー自身は「虚」であったのか?Appleに対するジョン・スカリーは「虚」であったのか?

彼は、Appleの最大のミスは、自分をCEOにしたことであるとか、Appleに於ける自分の業績はスティーブ・ジョブズに依るものである等と云っているらしい。スティーブ・ジョブズが去った後も(追い出された後も)、スティーブ・ジョブズのDNA(デザイン哲学等)に従いAppleは動き、業績は向上したといった意味であるようだ。

即ち、ジョン・スカリーは、Appleに於ける自身を「虚」であったと云っているに等しいのだ

しかし、スカリーは間違っている。スカリーが「虚」であるとしたら、Apple時代がそうであったのではなく、Appleに於ける自身を否定している今である

スティーブ・ジョブズが去った後(追い出された後)、スカリーはAppleの売上を10倍にしてみせたのだ。Macintoshがそれを実現したのだ。

Macintoshの源流には、パロ・アルトに始るスティーブ・ジョブズの発想があったことは確かである。Macintoshにはスティーブ・ジョブズのDNAが存在することは確かである(当初、スティーブ・ジョブズはMacintoshのプロジェクトには加わっていなかったはずではあるとしても)。

しかし、MacintoshのDNAはスティーブ・ジョブズのそれだけではないのだ。そこには、ジェフ・ラスキンのそれもあったであろうし(彼はMacintoshプロジェクトを立ち上げた一人である)、Macintoshには欠かせぬソフトウエア(ツール)であったHyperCardの開発者でるビル・アトキンソンのそれもあったであろう(彼はMacPaintやQuickDrawも開発している)。

また、ある時期Macintoshのデザインを担当したフロッグ・デザイン社のDNAもあったであろうし、「エヴァンジェリスト」なる存在(概念)を創ったといっていいガイ・カワサキのDNAもあることは間違いない。

そして........

そういった人々をリードしたジョン・スカリー自身のDNAもMacintoshの中にはあるのだ。

確かに、今のAppleの隆盛はスティーブ・ジョブズに依るところが大きい(勿論、スティーブだけの功績ではないことは、スティーブ自身がよく分っているはずだ、とエヴァンジェリスト氏は云う)。

しかし、Macintoshが1984年、衝撃的な登場をし、その後、進化し、成長していった過程にいたのは、スティーブ・ジョブズではなく、ジョン・スカリーであったのだ

今のAppleの隆盛をもたらしたスティーブ・ジョブズを見て、Apple時代の自身を否定してはいけないのだ。

................と、エヴァンジェリスト氏は云う。

「ジョンにそう云ってやりたいが、彼とは親しくはないのでね」

スティーブとは同級生だけど(日本的には同学年ということらしい)、という顔をして云う。

Apple時代のスカリーは決して「虚」ではない。

そして、スカリーの教えは「実」である。彼のマーケティングの教えは決して間違っていない。それは、「虚」中の「実」ではなく、「実」中の「実」なのである

......では、もう一人、エヴァンジェリスト氏にマーケティングを教えた(エヴァンジェリスト氏に初めてマーケティングなるものの存在を教えた)アノ人の教えは「実」であったのであろうか?

尊属傷害致死で逮捕され実刑を受けたアノ人の教えは「実」であったのであろうか。

「いずれそのことは語ることになるであろう」

そう云うエヴァンジェリスト氏の顔はいつになく厳しい。

2011年9月11日日曜日

スカリーは間違っていたのか?(中編)

「スカリーに学ぶところは多かった」

エヴァンジェリスト氏は述懐する。

「自分がスカリーから学んだものは『虚』であったのか?」

スカリーがApple時代の自身を否定すると(その時代の自分を『虚』とすると)、そのスカリーから学んだものの『虚・実』が問題となりかねないのである。

「スカリーとは知合いではないが、彼の自伝Odyssey: Pepsi to Apple.=邦題『スカリー【世界を動かす経営哲学】』- 会津泉・訳から学ぶものは多かった」

Appleの会長時代に出版されたスカリーの自伝は、スティーブ・ジョブズとの経緯の記述等、自伝であると同時に、マーケティング書でもあるのだ。

「例えば.......」とエヴァンジェリスト氏は云う。

『通常、競争相手を骨抜きにするには、競争の土俵そのものを変えてしまわなければならない』とスカリーは云うが、これはマーケティングそのもののことを云っているのである。

マーケティングは色々に定義可能ではあるが、エヴァンジェリスト氏は、それは「創造」であると云う。競合を持たない状況を作り上げることをいう、と云う。

『成功のための自分自身のガイドラインを確立すること』の重要性をスカリーは説いているが、それはマーケティングに限らず、有効な考え方/処し方であると、エヴァンジェリスト氏は云う。

即ち、成功の基準は他者に設定させず、自分自身で作るべきであるということなのだ

成功の基準は一様ではない。それは如何ようにも設定可能なものである。他者にそれを設定させると失敗の烙印を押されがちである。成功するか否かは、少々姑息な感じを持たれるかもしれないが、成功の基準を自分で設定するかどうかにかかっているとさせ云えるのである。

..........以上のようなことをエヴァンジェリスト氏は、スカリーから学んだ、或は、再確認をしたと云うのである。


2011年9月6日火曜日

スカリーは間違っていたのか?(前編)

「虚」中の「実」は、「虚」であるのか、「実」であるのか?


そもそもそれは、「虚」であったのか?

エヴァンジェリスト氏は自問する。スカリーのことである。氏は、意味深に云っていたのだ、「スカリーを忘れるな」と(スティーブ・ジョブズ辞任........「スカリーを忘れるな」)。

スカリ−といっても「Xファイル」の女性FBI捜査官ダナ・スカリーのころではない。ジョン・スカリーのことである。

ご存じかと思うが、ジョン・スカリーは、かつてのApple(当時は、Apple Computer)のCEOである。スティーブ・ジョブズに請われてAppleに来たのである(史上最大のヘッドハンティングとも云われた)。

ジョン・スカリーは、ペプシ・コーラの社長であった(ペプシコの、ではなく、ペプシコの子会社であるペプシ・コーラの、である)。ペプシ・コーラで、ジョン・スカリーは、当時、コカコーラを抜いてマーケット・シェアのトップをとったことで有名である。

スティーブ・ジョブズは、ジョン・スカリーのそのマーケティングの手腕をかって、Appleに誘ったのである。「一生、砂糖水を売っているつもりか」という有名な言葉で。

Apple移籍後、スティーブ・ジョブズとジョン・スカリーとは「ダイナミック・デュオ」として蜜月時代を過ごす時期もあったが、二人は相離反し、スティーブ・ジョブズはAppleを追われることになったことは周知の通りである。

しかし、それから8年後、ジョン・スカリー自身が経営不振からAppleを追われることになり、その後、何人かのCEOがAppleの立直しを図ったが実らず、スティーブ・ジョブズがAppleに戻り、iMacに始る今のAppleの大成功を実現したことは語るまでもなかろう。

問題は、現在のAppleの状態から、スティーブ・ジョブズが正しく、スティーブ・ジョブズを追い出したジョン・スカリーが間違っていたと見なされることである........とエヴァンジェリスト氏は云う。

ジョン・スカリー自身がそういった主旨の発言をインタビューでしているのである。

しかし、果して、ジョン・スカリーは本当に間違っていたのか?

2011年8月25日木曜日

スティーブ・ジョブズ辞任........「スカリーを忘れるな」

「ノー・コメントだ。ノー・コメント、何も訊くな」

エヴァンジェリスト氏の表情は固い。

スティーブ・ジョブズがAppleのCEOを辞任をしたものの、後任のCEOにエヴァンジェリスト氏が就任しなかったことについて訊こうとしたが、氏は口を閉ざす。

「ティム・クックが後任CEOになったのは、貴方がCEOになることを断ったからですか?フフ.....」

皮肉混じりに訊いてみた。

「スティーブから電話かメールがあったんでしょう?」

3月2日(2011年)、Appleの新iPad(iPad2)の発表プレゼンテーションに、病気療養中のスティーブ・ジョブズが登場した際に、スティーブ・ジョブズの同級生だと云うエヴァンジェリスト氏は、


「ああ、これでまだ当分、CEOをやらなくて済むなあ」


と妄言を吐いたのだ(スティーブ・ジョブズ登場!........エヴァンジェリスト氏、また妄言)。




「石原プロの方を優先したんですか?............石原プロの社長に遠からずなるから、同級生(スティーブ・ジョブズ)の申し出(AppleのCEOへの就任)を断ったんですか?」


これも皮肉で訊いたのだ。


エヴァンジェリスト氏は、及川光博(ミッチー)が壇れいと結婚したことから、水谷豊の新・相棒になるかもと妄想したついでに、AppleのCEOになるかも、というだけではなく、石原プロの新社長になるかも、といった妄言も吐いていたのだ(【緊急特報】尊(ミッチー)が結婚!「いよいよ貴方の出番ですか?」)。戯けている。




しかし、エヴァンジェリスト氏は、私の質問というか皮肉には応えず、更に意味不明なことを云い出した。


「スカリーを忘れるな」
「スカリー?」
「ジョン・スカリーだ」
「ジョン・スカリーって、あの?」
「ジョン自身、最近、自虐的過ぎるようだが.......」


エヴァンジェリスト氏が何を云いたいのか、よく分らないが、「ノー・コメント」と云っていた割に、何かを語り出す様子であった.........

2011年8月23日火曜日

「世界初のカーナビを作った」のではない人

初めて田上(たがみ)勝俊さんを見た時、これはただ者ではない、とエヴァンジェリスト氏は思ったそうだ。

NHK BSプレミアムの「らいじんぐ産」の「カーナビ」編で見たのである。

取材スタッフは、世界初のカーナビを作った人のインタビューに向かい、目指す人物は普通の民家から出てきたが、その人(田上勝俊さん)の目は普通の人間のものではなかった。眼光の鋭さは恐怖さえ感じさせるものであった。

田上勝俊さんは、「カーナビを作ったのではない」と云う。田上勝俊さんが、本田技術研究所で世界で初めて作った「カーナビ」が、「カーナビゲーション」ではなく、「エレクトロ・ジャイロケータ」という名前であったから、ではない。ジャイロ技術を使ったものであり、現在のカーナビのようにGPSを使ったものではないから、ではない。

田上勝俊さんは、「プログラムド・ドライビング」を実現しようとしたのだ。「自動運転」である。クルマに乗車して目的地を指定すれば、後はクルマが自動的にそこまで連れて行ってくれるというシステムを開発しようとしたのである。

「プログラムド・ドライビング」の一要素として、「コース誘導」があったのである。つまり、今で云う「カーナビ」である。それは壮大な目標を達成する為に必要な一要素に過ぎなかったのだ。

しかし、「革新」はこうして生まれるのであろう。小さな目標、目先の目標を目指していては、「革新」は生まれないのだ。「思想」がなくてはいけないのだ

「自動運転」という「思想」、「大志」があり、その実現を目指すことで、必ずしもそれ自体は直ぐに実現せずとも、その結果として(副産物として)「革新」(カーナビ)が生まれるのだ。

田上勝俊さんにとって、「カーナビ」はあくまで「副産物」であり(大変な副産物ではあるが)、大いなる目標への過程に過ぎず、「目指すもの」は「未完成」であったのであろう。ミスター・シューベルトがいつも云うように。

ヒトは「思想」を持たなければならない。「思想」なくしてビジネスの真の成功はない。

貴方は、貴方のビジネスで何をしたいのか?.............私たちは自身にそう問うべきである。

「思想」を持つであろう田上勝俊さんは、実は「ASIMO(アシモ)」の生みの親でもあるらしい。エヴァンジェリスト氏は、田上勝俊さんが普通の人ではないと思い、調べて、そう知ったそうである。

2011年8月22日月曜日

スーパーホテル:大垣で一番いいホテル

大垣(岐阜県)で一番いいホテルは、スーパーホテルだそうだ。

昨日(2011年8月21日)、TBSの「がっちりマンデー!!」で取り上げられていたホテルである。その大垣駅前店である。

ホテルの良し悪しは何を基準にするかにもよるので、一概にどのホテルが一番とは云えないが、エヴァンジェリスト氏によると、大垣で一番いいホテルは、スーパーホテルなんだそうだ。エヴァンジェリスト氏基準で、ということだ。

妄言ばかりのエヴァンジェリスト氏ではあるが、やはり「プロの旅人」で、年中、日本全国を出張しているので、ホテルに関しては一家言持っていることは確かである。

氏は、大垣に泊るときは必ず大垣駅近くにある「スーパーホテル大垣駅前」に泊るそうである。


「スーパーホテル大垣駅前」に泊るようになる前、氏は大垣宿泊にはかなり苦労していたらしい。

差し障りがあるので、どのホテルとは云えないが(私は氏から実名を聞いてはいるが)、幾つか泊ったホテルはいずれも満足のいくものではなく、二度泊ったホテルはなかったそうだ。

しかし、大垣にもお客様があり、泊らざるを得ない時もある。さて、困った.........


ネットで検索すると、「スーパーホテル大垣駅前」があった。

「スーパーホテル」の存在は知らなくはなかった。各地で目にしたことがあったのである。黄色地に青色で「スーパーホテル」と書かれたアノ看板である。「4980円」とも書いてあった。

「4980円」は安い。しかし、あの原色の看板で、その値段というのは、何だか「安かろう悪かろう」ではなくとも「安かろう安かろう」ではないかとしか思えず、自身が宿泊するという発想は全くなかった。

しかし、大垣にはいいホテルはないのである(勿論、エヴァンジェリスト氏にとって、である)。そこで、思い切って、「スーパーホテル大垣駅前」を予約したのである。

冒険であった。安いから失敗してもいいか、というとそうではない。安くとも嫌なホテルはやはり嫌である。

ところが、氏の心配は杞憂であった。それどころか、いい意味で「期待」外れであった。

スーパーホテル大垣駅前」は素晴らしいホテルであった。「安かろう良かろう」なホテルであった。

何故、安いのかは直ぐに分った。「がっちりマンデー!!」で紹介されていた通り、カットできるところはカットしているのである。従業員数、チェックイン/チェックアウトのシステム等である。部屋に電話がないのは、携帯時代の今、不思議ではないが、どうやらこのような時代になる前からそうしていたらしい。結果論にはなるが、先見の明があったということになろう。

しかし、部屋の広さ、ベッドの大きさ、朝食付(一部自動販売機飲料無料)、ネットの完備等、カットしてはならないところはカットせず、むしろもっと「格上」のホテル以上に装備しているのである。

そして、より、「スーパーホテル大垣駅前」の従業員が素晴らしかった。美人であったからではなく(実際、美人であった)、笑顔や諸々の隙のない、しかし、肩肘張らない自然な対応振りが素晴らしかった

その後、幾度も「スーパーホテル大垣駅前」に泊ることになったが、「エヴァンジェリスト氏様ですね」と名前さえ覚えてくれたのである。

シティ・ホテルの従業員の対応は勿論いい(但し、シティ・ホテルでもなっていないホテルもある目配り..........たまには、プロの旅人らしく)、しかし、シティ・ホテルでないと従業員がいい対応をとれないというものではないのである。

シティ・ホテルは従業員が多いので(その分、宿泊料も高いが)、入口にドアマンがいたり、ポーターがいたりする。ビジネス・ホテルはそうはいかない。フロントマンがいるだけである(エヴァンジェリスト氏は、元々、ドアマンもポーターも不要という人だが)。

しかし、お客様を笑顔で迎え、お客様が何を欲しているか、まさに「目配り」することは、シティ・ホテル、ビジネス・ホテルの別なくできることであるし、すべきことなのである

それが、シティ・ホテル以上に、他のビジネス・ホテル以上にできるのが「スーパーホテル」なのである。

そして、それなのに、安い、のである。これで泊らない手はない。

エヴァンジェリスト氏は、すっかり「スーパーホテル」ファンになってしまったのだ。

問題は、「スーパーホテル」の良さを多くの人が知り、予約がとり辛くなっていることだ。「がっちりマンデー!!」で取り上げられたことは、とてもいいことだが、これで更に予約がとり辛くなってしまうであろう。

2011年8月19日金曜日

将軍とライダーがコラボするなら・・・

「将軍とライダーがコラボするなら・・・」

東映も余計なことをしてくれたものである。エヴァンジェリスト氏を図に乗せてしまったのだ。

暴れん坊将軍と仮面ライダーがコラボレーションするんだから、何があってもいいではないか、というのである。

ご存じかと思うが、この夏(2011年夏)、「劇場版 仮面ライダーオーズ WONDERFUL 将軍と21のコアメダル」という仮面ライダーの映画になんと暴れん坊将軍(松平健)が登場し、仮面ライダーを助けたのである。


メイ・エヴァンジェリスト1号の子どもたち(小学2年の女の子と幼稚園年中の男の子)をその子たちの祖父(つまり、アニ・エヴァンジェリスト2号)と一緒に仮面ライダー映画に連れて行ったのである。


何の予備知識もなく、また半分眠りながら見ていたところ、仮面ライダーは江戸時代にタム・スリップし、そこで、貧乏旗本の三男坊である徳田新之助(実は、将軍・徳川吉宗)が現れ、エヴァンジェリスト氏は驚き、目をすっかり覚めてしまった。


暴れん坊将軍(マツケン)は仮面ライダーを危機から助け、怪人たちを剣でやっつけてしまうのである。


驚くと共に、映画館の暗闇の中で、エヴァンジェリスト氏はほくそ笑んだのだ。


「暴れん坊将軍と仮面ライダーがコラボレーションするんだから、自分がこれまで色々と提案してきたコラボレーションもあっておかしくはないではないか」


つまり、これまで自身が提案してきた


まつちカッパと内田裕也のコラボレーション「まつちカッパ」のライバルに内田裕也???)、


まつちカッパと小栗旬のコラボレーション新ライバルは、小栗旬???..........「まつちカッパ」)、



があっても何の不思議もないというのだ。


更に、暴れん坊将軍と仮面ライダーが「合体」したのだから、


水木プロと石原プロの合併合併!?水木プロと石原プロ


が実現してもなんら不思議ではないというのだ。


「君たちは、私の提案を鼻で笑ってきたが、何しろ暴れん坊将軍と仮面ライダーのコラボレーションが『現実に』実現したのだからな」

氏は、不遜にも




さえ正当化しかねない。


東映(配給元)は本当に余計なことをしてくれたものである。

暴れん坊将軍と仮面ライダーがコラボレーションしたのは事実であり、そうなると、エヴァンジェリスト氏の妄言を必ずしも妄言とは云い切れなくなったのだ。

エヴァンジェリスト氏の暴走は止められない。


2011年8月10日水曜日

まつちカッパ照れる!?

まつちカッパがひねくれるのも仕方ないようだ。

初めて松山に出張したローラク・クイーン13世からの情報を元にした解析である。

ご存じの通り、まつちカッパは、ご当地キャラのなかでは珍しく「ゆるキャラ」ではなく、「ひねくれキャラ」である。以下の写真の顔を見て頂けるとお判りになろうかと思う。



まつちカッパがひねくれているのは、


河童頭の内田裕也がいっこうにライバルとして現れないからでも(「まつちカッパ」のライバルに内田裕也???)、

「河童の三平」を描いた水木しげるに扮した向井理が現れないからでも(「向井理を使え!?」………『まつちカッパ』認知度向上プラン(前編)「向井理を使え!?」………『まつちカッパ』認知度向上プラン(後編))、

或は、7月下旬から放映が始ったドラマ荒川アンダー ザ ブリッジ」(小栗旬が河童になっているドラマであり、来年には映画化もされるもの)とのコラボが実現していないからでも(新ライバルは、小栗旬???..........「まつちカッパ」


ない




まつちカッパが住む「まつちかタウン」(愛媛県の、というか、四国唯一の地下街である)の「うるおいの泉」に行ってみると分るのである。


ローラク・クイーン13世によると、「うるおいの泉」の縁石には、人が一杯腰掛けているという。それが、OLや女子高生たちであるならいいが、腰掛けている人の多くがおばさん、おばあちゃん、おじいちゃんなのだそうだ。


まつちカッパは「うるおいの泉」から上記の写真のように顔を出しているが、見えるのはおばさん、おばあちゃん、おじいちゃんのオシリばかりということなのだ。

これでは、ひねくれるのも無理はない。

............が、

「ヒネクレ者のまつちカッパの顔が綻んだのを見たぞ」

エヴァンジェリスト氏である。

ローラク・クイーン13世と一緒に松山に出張した氏は目撃したと云う。

まつちカッパに会うことを楽しみにしていたローラク・クイーン13世は、エヴァンジェリスト氏まつちかタウンに連れて行ってもらい、そこで、自身の携帯をエヴァンジェリスト氏に託し、まつちカッパとのツーショット写真をエヴァンジェリスト氏に撮ってもらったのだ。

憧れのまつちカッパに会え、写真も撮れたローラク・クイーン13世はご満悦であった(らしい)。

しかし、エヴァンジェリスト氏は見たと云うのだ。もう一人(いや、もう一匹か)、一瞬ではあるが満悦顔を見せたのを。

ローラク・クイーン13世とまつちカッパとのツーショット写真を撮った瞬間、まつちカッパの顔が綻んだというのだ。照れたのである。

エヴァンジェリスト氏の話はどこまで信用していいか大いに疑問ではあるが、まつちカッパの顔が綻んだというのは、信じていいのではないかと思う。

何しろ、ローラク・クイーン13世にツーショット写真を撮ってもらえたのであるから。

さすが「ローラク・クイーン」である。ヒネクレ者のまつちカッパさえも「ローラク」してしまったのだ。